「会社に勤めているときは、仕事をして一日が終わってしまっていました。なんのために生きているのかわからなくなって、もっと丁寧に暮らしたいと思ったんです。でも今は、自分を大切にできていると、思います」(昌世さん)

 

東京から特急と在来線を乗り継いで3時間半、さらにクルマで15分。おととし、長野県安曇野市の山あいに移住したのは齋藤裕二さん、昌世さん夫婦(ともに33)。

 

神奈川県出身の裕二さんは新橋でマーケティングを担当するサラリーマン。静岡県出身の昌世さんも理学療法士として働き、都内で暮らす典型的な「都会の共働き夫婦」。それが、いまでは信州にある「穂高養生園」の住み込みスタッフだ。

 

同園は、自然豊かな環境で、体に優しい食事やヨガなどの運動プログラムを提供し、自然治癒力を高めることを目的とした宿泊施設。昌世さんの仕事は宿泊客に提供するマクロビオティック(玄米菜食)料理の調理補助。そして、裕二さんの仕事はなんと大工!

 

現在は新しい宿泊部屋と、お風呂の工事のまっただ中。春の完成を目指して、大工仲間と作業に追われている。東京のサラリーマン夫婦が、三十路を過ぎて家作りに目覚めたきっかけとは?それは、2人が結婚した’08年に訪れた。

 

「マーケティングの仕事は不景気になると激減すると言われているのですが、’08年のリーマン・ショックで、まさにそのとおりになりました。会社から、仕事がないからしばらく休むように言われてしまったんです」(裕二さん)

 

結婚わずか2カ月で、仕事がなくなった裕二さん。遠いアメリカの金融会社の出来事に生活が左右されることに、疑問を抱いたという。

 

「それまで得をしていたわけでもないのに、この暮らしは割に合わない。そこで、周囲の状況に左右されず、自力で生きていける“生業”を、探すようになったのです」(裕二さん)

 

現在の生活は、朝7時半ごろ、敷地内の住居で目覚めるところから始まる。裕二さんは建築現場、昌世さんは養生園へ。夕方まで仕事は別々だが、昼食やお茶の時間は共同の食堂で、夫婦を含め、スタッフみんなで過ごす。

 

野菜中心の手料理を大勢で食べながら、夜になればお酒を飲んだり、ギターを弾いたり。近所にはコンビニもないが、養生園には自家栽培の野菜や手製の調味料など、“きちんと”作られた食材が、ふんだんにある。ないものは、作ればいい。これこそ、夫婦が目指した暮らし方だ。

 

「東京にいるころは、遊ぶといったら酒を飲むだけだったけど、いまは暮らし自体が壮大な遊びのようなもの。建物、料理、野菜……自分たちの手で作り出す楽しみが、ここにはあるんです。だから、毎日が、本当に楽しい」(裕二さん)

 

「消費をしないってすごく楽。自分で作れるものが増えると、他人に自分の生活をゆだねなくなるぶん、とても自由になれるんです。収入は激減したけれど、家賃も食費もほとんどかからないので、困りません。むしろQOL(生活の質)は圧倒的に上がっています」(昌世さん)

 

そして、都会を離れた2人には「自由な暮らし」を上回る、神様からのギフトが。それまで子どもができなかった昌世さんだが、穂高に来た最初の冬に、長女のまゆちゃんを授かったのだ。太陽と共に寝起きし、シンプルに“生活”を営むことで授かった命−−。

 

「いずれは、電気系統も覚えて、自分で家を建てられるようになりたい。あとしばらく、ここで暮らしのノウハウを学んだら、いつかは自分たちで自給自足生活を送るのが夢なんです」(裕二さん)

 

都会を離れた夫婦が手にしたのは、「どこででも生きていける強さ」と、かけがえのない家族だった。