サボりたいために「腰痛」と訴えてくる患者は数知れず。筋弛緩薬の大量摂取、軽い風邪だと診断を後回しにしたら「メンツをつぶされた」と謝罪を要求、刑務官は受刑者と区別のつかない強面……。日向正光医師(43)は“刑務所のお医者さん”だった−−。

 

「彼らはサポーター1枚をもらうことで、ほかの受刑者より特別扱いされたと自慢したいんです。刑務所というのは、そういった、ちょっと理解しがたい見栄や常識のはびこる閉鎖社会なんです」

 

日向さんがそう思いだすのは、福島刑務所の殺風景な医務室でのことだ。日向さんは、’04年から’10年までの6年間、東北地方で最大規模の福島刑務所で受刑者の診察を担当していた。現在は山形県にある精神科・若宮病院に勤務している。

 

「入れ墨なんてかわいいほう」という受刑者たちと渡り合った元刑務所医と聞いて、勝手に強面を想像しがちだが、丸いフォルムの眼鏡がよく似合う、愛嬌たっぷりの人物だ。

 

「今でも、よく『医師に見えませんね』と言われるけれど、むしろそれは褒め言葉。特に精神科だから、緊張させずに安心して話してもらわないといけないですから」

 

刑務所での勤務が、今の自分をつくったと日向さんは話す。

 

「受刑者相手ですから、先入観で診察すると誤診します。犯罪歴も見ながらじっくりと問診していくなかで、医師としての力をつけました」

 

福島刑務所は、福島駅から北西に約10キロ。周囲を畑に囲まれたのどかな場所にあり、東北で唯一の女子刑務所(福島刑務支所)が併設されている。刑務所医の生活は、スタート時から戸惑いと驚きの連続だった。

 

こんなことがあった。突然の休日の呼び出しに駆けつけると、中年の受刑者2人が同時に倒れたと言う。脳卒中を疑ったが、その後の診察で、以前に処方された筋弛緩薬を2人で大量に服用したことがわかった。

 

「過度な筋トレをして痛みを止めようとした結果でした。こうしたトレーニングによる肉体改造も、一つの自己顕示欲の表れ。消しゴムの塊をペニスに入れたり、作業場の工具で入れ墨をしてみたという行為も同じなんです」

 

また、丸刈り頭に灰色の受刑服姿の患者たちの多くが、「腰が痛くて、痛くて」と訴えた。この腰痛がくせものだった。

 

「多くが作業をサボリたかったり、あのオヤジ(刑務官)に会いたくないという理由だったり。まして腰痛は、90%以上がエックス線写真にも患部が映らないものですから、詐病にはもってこいなんです。詐病は相変わらず多かったけれど、その中に大きな病気が潜んでいることを知るんですね」

 

だからこそ、余計に一人一人の診察時間を大事にした。そして、医療の原点に立ち返った。

 

「幸か不幸か、時代に取り残されたような医療機材ばかりでしたから、自然に問診力が付きました(笑)。『だるい』と訴えた患者も、以前なら詐病を疑うケースだったでしょう。でも、お尻に指を入れたらタール状の黒い便が見つかって、消化管出血が早い段階で見つかり、比較的短期の入院ですみました」

 

そんな福島刑務所を5年前に退官した日向さんは現在、若宮病院で育児うつ、精神疾患を抱えた児童や高齢者の外来などを受け持っている。

 

「刑務所の医師をしていなければ、一般病院の循環器内科で働いていたと思います。刑務所には精神疾患を抱えた受刑者も多かった。刑務所で働いてみて、早期にちゃんとした医療を受けることで、犯罪を未然に防げるケースがあるのではないかと思いました」

 

日向さんの笑顔の裏には、医学書ではなく現場から学んできたという自信がみなぎっていた。

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