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第二次世界大戦の終結から70年という、大きな節目を迎えた’15年。そこで、本誌は戦後70年に読みたい作品を、著名人に薦めていただきました。

 

「’92年、私はアントニオ猪木さんと、内戦の硝煙が消えないカンボジアに入りました。大地に数千の死体が埋まり、道の両脇には人骨がうずたかく積まれたまま臭気が漂うキリング・フィールドを目の当たりにし、石川文洋さんがたどった道を自分が追体験していることに震えを覚えました」

 

歌手、俳優、そして作家としても活躍するドリアン助川さん(53)は、30歳で目にしたカンボジア大虐殺の傷痕の述懐から、思いを語り始めた。

 

「社会人になって間もないころ、開高健さんの盟友でカメラマン・石川文洋さんの著書『戦場カメラマン』を手に取り、ぶっ飛びました。戦場の最前線をつぶさに撮って、文章として残した作品としては、最高のものだと思いました」

 

1千ページ近い分厚い同書をめくるドリアンさんの手が止まると、そのページには、米軍のランチャー弾を受けてバラバラになった、ベトナム兵遺体の頭部と両腕をつまみ上げる米兵の写真が。

 

「じつはこの写真、小学3年生のとき『朝日年鑑』で見た記憶があったんです。『こんなことを人間がするのか、こんな写真を撮る記者がいるのか』と眠れなくなった写真が、文洋さんのものだったことを、この本で初めて知りました」

 

そして「右肩上がりの経済状況で見過ごしてきた戦争」が心に入り込んできたという。

 

「沖縄出身の文洋さんは、沖縄戦の際に東京にいたことが、負い目だったのではないかと。ベトナム戦争では、米軍は沖縄基地から飛んでいっています。文洋さんはその戦地で最後まで残って取材し、それによって’60〜’70年代にアジアの一角で起きていた真実を、つまびらかにしたんです」

 

その後、放送作家として猪木さんと関わるうち、冒頭のカンボジア行きにたどり着く。

 

「私にとってもっとも身近な戦争は、ベトナム、カンボジアの戦渦の痕となりました。そこで傷ついた人々と出会い、抱いた思いが帰国後にパンクに走らせ、『叫ぶ詩人の会』でのデビューとなったんです」

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