東日本大震災から5回目の、お盆が過ぎた。少しずつ気持ちの整理をする中で、亡くなった家族に“接する”ことができたという体験談を語る人が、増えてきた。被災地で聞いた、ちょっと不思議なエピーソードをご紹介−−。

 

宮城県石巻市立大川小学校では、全校108人中74人もの児童が、地震発生から51分もの間、教師の避難決定が下されないまま、凍てつく校庭で震えながら待機させられ、津波の犠牲になった。

 

現在、学校管理下での「津波の予見可能性」を問う民事裁判が進行中で、11月13日には裁判官による現地視察が予定されている。紫桃さよみさん(49)は、末娘で小学5年生だった千聖ちゃん(享年11)を、この津波で亡くした。震災前の2月、千聖ちゃんにこんなことがあったと、さよみさんは振り返る。

 

「千聖が夜中に突然、起きて、泣きだしたんです。『学校がなくなっちゃった』って。それから『どうせ私はひとりで死ぬんだ』って言って、泣いていました。遺族の中には、震災前、子供がそんな予兆めいたことを言っていたのを覚えている、という話を聞きます。シグナルだとしたら、なんでそのとき、受け止めてあげられなかったのか……」

 

そして、震災から1週間後の3月18日、火葬当日の朝。さよみさんが仏壇の前で支度をしていると、耳元で「ママ、泣かないで。私なんかより、残った子たちが大変だよ。ママ守ってね」と千聖ちゃんの声がしたという。

 

さらに5月ごろ、荼毘に付してしまったことを後悔したさよみさんが、「自分も千聖のところに行かなきゃいけない」と、強く願うようになっていたときのこと。千聖ちゃんが夢に現れ、「ママ、こうなっちゃうんだよ……」と告げ、早送りのように、生き生きとした姿の千聖ちゃんが、みるみるうちに崩れ、朽ちてしまった。

 

自分よりも両親やきょうだいを思いやる、やさしい子だった千聖ちゃん。今もけなげに、残った友達を心配する娘の声を、さよみさんは大切にしようと思った。以来、少しずつ紫桃夫妻は、できることから生活の再建を始めるようになった。

 

「千聖が教えてくれたことは『あした、家族がどうなるかわからない。あした、誰かがいなくなるかもしれない』ということです。千聖がいなくなったことへの後悔があるからこそ、精いっぱいのことをできるんだと思います。日々、ちょっとしたことをがんばれたとき、千聖が夢で褒めてくれるのも、私たち夫婦の、そんな心がけに対してのことなのかもしれません」