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「年月がたてばどんな悲しみも和らぐなんて方もいますが、少なくとも僕らにとっては、そんなことはありませんでした……」

 

そう語るのは、山形県新庄市に住む児玉昭平さん(67)。‘93年1月13日、新庄市の明倫中学校の体育館用具室内で、1年生・有平くん(享年13)の遺体が発見された。有平くんは、マットの中に頭から入った状態で窒息死していたのだ。

 

「有平さんに対する日常的ないじめがあったとされ、この事件は『山形マット死事件』として、全国的に注目されました。山形県警は、傷害と監禁致死の容疑で上級生3人を逮捕、同級生4人を補導しています。当初7人は犯行を認めましたが、その後、多くの少年が自供を撤回し、長い裁判が始まりました」(社会部記者)

 

事件から2年後の’95年には、加害少年たちに損害賠償を求める民事裁判を開始した。

 

「山形地裁は7人全員のアリバイを認め、事実上『無罪』となったのです。しかしその後、仙台高裁は一転して、少年たち全員が犯行に関与したという判断を下しました。さらに’05年9月、最高裁もその判断を支持し、“全員有罪”という結論に達したのです。最高裁は“元少年”たちへ総額約5千760万円の損害賠償を命じました」(前出・社会部記者)

 

事件発生から12年後、ようやく事件が決着したかに見えたのだが……。児玉さんは言う。

 

「当時、犯人たちは20代半ばでした。弁護士とこんな話をしたのを覚えています。『まだ彼らも若いから、判決を受けても罪の実感はわかないかもしれない。でもこれから結婚して、自分たちの子供が生まれたら、子供を失った親の悲しみを理解してくれるようになるかもしれない。彼らが反省して謝りに来るのを待とう』。私もそして家内もその日をずっと待っていました。しかし10年もたとうとしているのに、彼らの誰一人として謝りにくるどころか、賠償金を払うそぶりも見せなかったのです。でも私たちは、裁判結果を無にしてしまうことはできません。もし、そんなことになったら、天国の有平も浮かばれません」

 

児玉さんは弁護士と相談して、督促状を送ったうえ、勤務先が判明した者の給料を差し押さえることにした。

 

「また勤務先が不明だった者も2~3名おり、その分は差し押さえ措置もできなかったので、今年1月に再び提訴しました。なぜ判決から10年以上たったいま?そう疑問を持った方もいたかもしれませんが、私たちも急に提訴にふみきったわけではないのです」

 

7人の“元少年”は、いまは30代の働き盛り。5人は結婚し、そのうち3人には子供もいるという。

 

「なぜ父親になったのに、彼らには罪の自覚が芽生えないのでしょうか……。本当に彼らは更生したのでしょうか? 彼らへの矯正教育がもっと徹底していたら、賠償金を払わないなんてことはなかったのではないかと思います」

 

雪国・新庄市に降り積もる雪のように、児玉さんの無念は募り続けている。

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