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「なぜ女性市議がいないのか、と聞かれても正直、明確な答えは持ち合わせてません。最終的には市民の皆さんの判断だったとしか言いようがない。ですが、子育て支援や健康長寿という、市が取り組んでいるテーマを考えれば、女性市議にいていただくことが望ましいと私自身は考えています」

 

そう語るのは、鹿児島県垂水市の尾脇雅弥市長(50)。今年4月、石川県かほく市に同市初の女性市議が誕生したことで、日本全国に791ある市のなかで、過去から現在に至るまで女性市議がいないのは垂水市だけになった。女性の政治参加が認められて70年余。国を挙げて女性の活躍を推進してきた日本で、なぜ垂水市には女性市議が生まれてこなかったのか。

 

観光協会物産部会の部長で、男女共同参画推進協議会の会長も務める川崎あさ子さん(68)は女性市議がいない理由をこう話す。

 

「垂水は鹿児島県の中でも、武家社会の風習が色濃く残る町だからじゃないですか」

 

垂水は江戸時代、徳川で言うところの御三家のような、「一門家」と呼ばれた名門の1つ、垂水島津家が治めていた。

 

「私が’71年に嫁いできた川崎の家は垂水島津家の家来の末裔。義母の実家も薬丸自顕流という島津家の剣の指南役だった。そんな家だから、武家の風習を厳しく仕込まれた。お茶を注ぐのもお風呂の順番も義父が最初で、次が長男である私の主人と順番が決まってる。男の人を決して台所に立たせてはいけない。亡くなったうちの主人が私に料理を作ってくれたのは生涯一度きり。長男を産んだとき、よほどうれしかったのか1回だけ魚を煮てくれましたね(笑)」(川崎さん・以下同)

 

あるとき、川崎さんが近所の女性たちと庭先でかしましく談笑中、義父がたしなめるように、ボソッと言った。

 

「雌鶏が鳴く家は栄えん」

 

まるで江戸時代のような考え方が垂水に残るのは、その後の市の発展の仕方に由来すると川崎さんは推測する。

 

「隣の鹿屋市には自衛隊や体育大学があったり、国分市には京セラの大きな工場もあります。でも、垂水にはそこまで大きな企業や団体はない。だから人の出入りが少なくて、古い習慣がいまに残る原因になったのではないでしょうか」

 

そんな垂水市も、川崎さんの目には少しずつ変わりつつあるように見えるという。

 

「ここ10年ぐらいですけどね、驚いたことに、男の人がゴミ出しするようになったんです。昔なら絶対にありえなかった。ゴミ出しなんて男の仕事じゃないって思われてたから。それが最近は、定年後のお父さんたちが朝、ゴミを出してる。『ああ、垂水も変わってきたな』って思いましたよ」

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