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「いま、つづれ織りで地球環境の大切さを訴えるような作品をたくさん織っています。それらの作品を持って、日本はもちろん、海外で個展を開いて回りたい。これも、主人に出された宿題だと思ってるんです」

 

そう語るのは、京都西陣織・伝統工芸士の小玉紫泉さん(65)。数ある日本の伝統織物の、最高峰と位置づけられる京都「西陣織」。なかでも、ひときわ高度な技術が必要とされるのが「爪掻本つづれ織り」だ。小玉さんが手がける爪掻本つづれ織りは、“手技を超えた爪先の技”と称されるほど、繊細な技術が求められる。

 

機(はた)の脇から杼(ひ)を反対側まで一気に飛ばし、経(たて)糸全てに緯(よこ)糸を通して織るのが一般的な機織りの手順。

 

ところが、小玉さんは何十本と張られた経糸のほんの一部、数本だけを杼ですくい取るようにして、その部分だけに緯糸を通して絡めていく。そして、鋸の刃のようにギザギザに削った自分の爪を使って、いま通したばかりの緯糸を「キュキュキュッ」と音をさせながら掻き寄せる。この細かい手法を用いることで、キャンバスに絵を描くように、さまざまな色糸で柄を描いていけるのだ。

 

「だいたい緯糸5本、つまりいまの作業を5回繰り返して、絵柄が1ミリほどできます。縦20センチの絵柄を織ろうと思ったら1,000回。柄の色ごと、糸ごとにそれを繰り返すので……1日かけてもほんの少ししかできません。細かく難しい柄になると、朝から晩まで根詰めて作業しても、織り上がりはたった1センチ、なんてことも多々あります」(小玉さん・以下同)

 

これまで、文部科学大臣賞など、名だたる賞を数多く受賞してきた。だが、そのキャリアのスタートは意外にも28歳と遅かった。

 

「この世界だと28歳でも中年のおばちゃんだといわれましたね。しかも、最初は主婦のパートだったんです。結婚した夫の実家が京都で。夫の両親と同居を始めたとき、たまたま見つけたのが、近所のつづれ屋さんの『織り手募集』の張り紙。そこには『素人可』と書かれてたんです」

 

大阪生まれ、西宮育ちの小玉さん。父親は普通のサラリーマン。それまでに京都で暮らしたこともなければ、織物や伝統工芸とも、まったく無縁の生活だった。大阪府警に勤務していた7歳上の夫・俊男さんと結婚したのは’74年、小玉さんが21歳のとき。1男1女をもうけた。そして、結婚から6年後、京都の俊男さんの両親との同居を始めた。

 

「結婚して専業主婦だった私は、子育てが一段落したら、何か仕事をしたいとずっと考えてました。将来はオーダーメードの小さなブティックをやりたくて、最初は洋裁の学校に行って資格を取ろうと思っていたんですが……」

 

ここで姑の横槍が入る。「西陣に来たんやから、西陣の仕事せな」と。そこで小玉さんが見つけたのが先述の、つづれ織りの会社のパート募集の張り紙だった。採用がきまり、仕事を続けていたが、実家の事情でわずか1年半で退職してしまう。だが、ここで俊男さんが「1年半も織ってたなら、独り立ちできるやろ」と無茶ぶり。早々に独立を果たすことになる。

 

ここから徐々に、小玉さんはその本領を発揮する。好奇心旺盛で、実験と発明が大好きな小玉さんは、つづれ織りのさまざまな可能性を独自に追及していく。「はつり目」というつづれ織り特有の隙間を利用してリボンを結びつけた帯や、あえて緯糸を織り込まず、透かし窓のように後ろの絵柄が透けて見える帯を企画し、織り上げ、コンクールでは賞も取った。

 

「独立しろっていう主人の無茶ぶりがなければ、いまの私はなかった。不器用な主人なりに、常に私のことを認め、私の背中を押し続けてくれていたと思ってるんです。『まだまだ』っていうのも、『もっと頑張れ』ってことだった。いつか聞いたことがあるんです。どうしたら褒めてくれるのか、って。そしたら『勲章もらえるぐらいになれ』って。あと『パリでショーができるぐらいに』って。聞いたときは、そんなたいそうな目標を掲げられてしまったら、そら『まだまだ』やなって(笑)」

 

2000年代に入り、世間の着物離れが進むなか、西陣の業界も不況にあえいでいた。

 

「主人の前で、『最近、売れゆきが……』ってこぼしたことがあったんです。そしたら主人、またまたいいこと言ってくれたんですよ」

 

現在の小玉さんの工房には、額に入れて飾られた、帯とは違う、まるで絵か写真のような作品が多数展示されている。そしてその額には『非売品』の文字が。俊男さんは小玉さんに「売れないなら、売らないもの、売りたくないものを作れ。心配するな、お前が死んだら、その作品、俺が美術館を建てて飾ってやるから」と言ったという。妻を激励する俊男さんのその言葉、じつは、全身に転移したがんとの闘いのなかで発せられたものだった。

 

「そう私に言い残して、1年もたたずに、主人は逝っちゃったんですよ。だからいまの私は、主人が残してくれた宿題を、やり続けてるんです」

 

現在、小玉さんの活動は、アジア、アメリカ、そしてヨーロッパと、海外にも広がりを見せている。’10年には、女性伝統工芸士の仲間とパリでショーを開催。俊男さんとの約束を果たした。

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