7月9日、東京地裁であった裁判後、福島県飯舘村の細川牧場3代目当主・細川徳栄さん(62)は「跡を継ぐ娘のためにも、牧場を守る。損害賠償が認められるまで断固闘う」と強い口調で訴えた。細川さんは、放射能被害で馬の売買ができなくなったとして、東京電力を相手取り、2億1千万円の損害賠償を求める民事訴訟を起こした。

 

「私、早く結婚して子供を産みたいんです。今は福島市内でアパートを借りて婚約者と住んでいて、週に2〜3回、牧場に来て父を手伝っています。婚約者は将来、私が牧場を継ぐことも認めています。でも、今のままじゃ、この村に戻って生活できないし、子供を産むこともできません」(細川さんの一人娘の美和さん・27)

 

福島第一原発から30キロ離れながら、爆発事故後の放射能被害で全域が「計画的避難区域」とされ“悲劇の村”として日本中に知られるようになった飯舘村。震災後3年間、“悲劇”にじっと耐えていた飯舘村民が、声を上げ、立ち上がったのだ。

 

東電に損害賠償の増額を求めて、村民2千500人規模で国の原子力損害賠償紛争解決センターへの集団申し立てを行う発起人代表の長谷川健一さん(61)も、そのひとり。前田地区で酪農を営んでいた長谷川さんは現在、福島県北東部の伊達市の仮設住宅に家族と暮らしている。

 

7月20日、長谷川さんら住民は記者会見を開き、「飯舘村民はおとなしすぎる。怒っているんだと声を上げないと、国にも東電にも伝わらない。村全部を巻き込んで10月には申し立てをする」と訴え、一向に進まない除染や、まもなく打ち切られようとする補償を前に、怒りを爆発させた。国は除染目標を長期的には年間1ミリシーベルト以下に設定(毎時換算は約0.23マイクロシーベルト)。だが、飯舘村役場前のモニタリングポストの表示は、毎時0.53マイクロシーベルトで低くはない。

 

「村長は『来年度までに帰村のめどをつけたい』と言っているが、無理だと思う。汚染土が目の前に山積みされた所にどうやって帰るんだ。線量が下がらないのに業を煮やしてか、村は除染目標を年間5ミリシーベルトにゆるめるという。これはチェルノブイリなら“移住の義務”にあたる危険な数値だ」(長谷川さん)

 

京都大学原子炉研究所助教の今中哲二さんも村の除染方針に疑問を投げかける。

 

「除染目標の変更も、住民と相談して決めるべき。そもそも性急すぎます。まだ線量は高いのに、来年度末に帰村を宣言するか検討するなんて。50年、100年かけて判断するものだと思います」

 

今いちばんの問題は、村民の肉声が行政に届かないことだと長谷川さんは憤る。

 

「村に帰りたくても帰れない人の支援もしなくてはいけないのに、村の執行部は聞かない。東京の先生とか業者の話ばかり聞いている。村の一等地に夢のような再開発計画が持ち上がっているんだ。飯舘のど真ん中の深谷地区。お花畑に囲まれた資料館『までい(飯舘村で“丁寧”を意味する方言)館』や復興住宅15棟など。スポーツ施設なんて、誰がここでスポーツやるのか」(長谷川さん)

 

苦境のなか、なんとか前に進もうとする飯舘村民の声を国は、東電はどう聞くのだろう。

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