武富礼衣さん(19)は、出身地の佐賀県では、男女合わせて初めてのプロ棋士だ。幼いころの礼衣さんは、3歳上の兄の友達に交じって野球やドッジボールをする活発な女の子。しかし、5歳で将棋と出合うと外遊びよりも将棋を優先するようになった。

 

佐賀には将棋道場がなく、小3のころから、車で片道1時間半かけて福岡県筑紫野の道場に通い、小5からは、福岡県の将棋会館に通って、力をつけた。将棋では技術だけでなく、儀礼も学ぶ。対局は礼から始まり、負けを認める「投了」をして、礼で終わる。そして、その後の「感想戦」で、対局を振り返る。

 

「感想戦では、冷静に自分の手筋を振り返らないといけないんですが、負けると本当に悔しくて、最初は人前でもギャーギャー泣いて、しゃべることもできなくて……」(礼衣さん・以下同)

 

トイレに駆け込んで大泣きしながら、礼衣さんは強くなっていった。「将棋ノート」を作って勝つための分析をした。小学校の卒業文集には、「男性棋士にも勝つ女流棋士になりたい」と、書いている。

 

とはいえ、礼衣さんの生活は、将棋一色というわけではない。4歳から始めたピアノを弾き、中学では合唱部。塾にも通い、週末には電車で福岡の将棋会館に通う。超多忙な中学生だ。

 

しかし、将棋の勉強や練習時間が足りず、大会では準優勝ばかり。実力は伸び悩んだ。一刻の猶予もなかった。プロ養成機関である研修会に12、13歳から所属する子もいるなかで、礼衣さんはすでに中学3年。

 

「高校受験のとき、われに返りました。勉強もピアノも好きですが、一生の仕事と考えると将棋しかありませんでした」

 

研修会入会を決意した礼衣さんは、8歳のころから将棋会館などで指導してもらっていた中田功七段に入門のお願いに行った。

 

「プロを目指します」と礼衣さんが言うと、いつもはニコニコと優しい中田先生の表情が一変した。「本当に覚悟はある? プロになるということは、止まらない特急列車に乗るようなものだよ。二度と戻らない覚悟を持って臨まないと通用しない世界だよ」。終始、厳しい表情を崩さない中田先生の言葉に、礼衣さんは凍りつく。それでもプロの厳しさにひるむより、勝負の世界に挑もうという気持ちが勝った。

 

「好きなら、やっていけると覚悟したんです」

 

高1の5月、16歳の誕生日に母がプレゼントしてくれたのが“左馬”をデザインしたネックレスだ。将棋の「角」は、相手陣地に入ると、さらに強い「馬」になる。その馬を逆さまに読むと「まう」。おめでたいときの「舞う」に通じ、馬を反転させた「左馬」は、縁起がいいとされている。

 

以後、対局のときには必ずこのネックレスを身に着けた。東京の研修会に入会できたのは、その年の9月。当時、父親が東京に単身赴任していたため、大阪ではなく東京の研修会を選んだのだ。

 

月2回、土曜の授業が終わると、1人で飛行機に乗って、東京に行き、父の家で1泊。翌日曜は朝から約8時間、将棋連盟で対局して、佐賀に帰る。帰宅は夜10時を過ぎた。私立高校の特進クラスに入った礼衣さんは、勉強の手も抜きたくなかった。深夜2~3時まで寝ずに課題に取り組むこともあった。

 

「将棋と勉強、両方をやり抜くのは、本当に大変でしたが、自分で決めたのだから、絶対にやってやるという思いでした」

 

研修会は、D1クラスからのスタート。リーグ戦で6連勝もしくは9勝3敗などの成績で、C2、C1と、クラスが上がっていく。C1クラスのリーグ戦に入ると、女流3級になりプロ扱いになる。礼衣さんは、研修会入会から半年で、女流3級に昇級している。あまりにハイスピードで勝ち星を挙げたため、既定の対局数に足りず、正式に女流3級になったのは、高校2年の5月だった。

 

しかし、それはプロとしての仮資格。そこから2年以内に女流2級に昇級できなければ、アマチュアに降格してしまう。2級に昇級する条件は1年間で既定の勝ち星を挙げること。しかし、プロの対局相手は強敵ばかり。2年以内という期間もプレッシャーになった。

 

「負ける夢を見て、ガバッと起きることもありました。負けたらどうしようと考えるあまり、守ることばかりに気がいって、思い切りよく踏み出さなければならない場面でも、怖くて、安全な手を選んでしまうんです」

 

結局、僅差で負ける状況が続いた。負けが込むと神経質になる。負けたときの服は着たくない。負けたときのバッグは持っていかない。後ろ向きのことばかり考えた。

 

「自分を見失っていたかもしれません。将棋も大学も、両方、ダメになることを考えてしまうと、生きた心地がしませんでした」

 

転機は昨年秋だった。立命館大学に合格し、ようやく将棋だけに打ち込む環境が整ったのだ。同じころ、先輩棋士が何人もアドバイスしてくれた。憧れのトップ女流棋士・里見香奈さん(26)からの、「アマチュアに落ちても、実力があれば上がってこられる。プレッシャーを感じなくてもいいのよ」という言葉に肩の力が少し抜け、しだいに周りが見えるようになってきた。

 

そして、今年2月7日。礼衣さんは気負うことなく、ほどよい緊張感に包まれて、ベテランの岩根忍女流三段(37)との対決に臨んだ。対局の合間に、母から贈られた左馬のネックレスをギュッと握る。

 

「ネックレスを握ると、家族や先生、地元の人、私を支えてくれた人への感謝の気持ちを思い出す。自分のためだけに戦っていたら、強くなれないかもしれません。応援してくれる人は、プレッシャーにもなりえますが、考え方ひとつで最大の力になるんです」

 

対局は、2人とも2時間の持ち時間を使い切り、1手1分以内に指し続ける白熱戦にもつれ込む。「負けました」岩根三段が投了する。礼衣さんの将棋への執念が実り、番狂わせと言ってもいい勝利を収めた。女流2級への昇級だ。その後の記者会見で、礼衣さんは、ペタペタと自分の頬をたたき続けて、記者を不思議がらせた。

 

「1週間前から、毎晩、岩根先生と対局する夢をみたんです。負けるとハッと目が覚めて、夢でよかった~って思っていて(笑)。だから、本当に勝っても、夢じゃないよねって、ほっぺをたたいたり、つねったりして確認していたんです」

 

プロの正資格を得た礼衣さんは、3月。女流名人への挑戦を懸けた最強のリーグ戦への参加が決まった。結果、女流1級を飛び級し、現在は女流初段。わずか1カ月余りで一気に昇段したのだ。

 

6月1日、そのリーグ戦のため、礼衣さんは東京の将棋会館に現れた。礼衣さんは、このリーグ戦で唯一の10代。対局相手は実績のある格上の大先輩ばかり。この日の対局相手は、上田初美女流四段(29)。女王のタイトルを獲得したこともある実力者だ。

 

ピンと張りつめた緊張感のなか、始まった対局は5時間続いたが、残念ながら礼衣さんは黒星。リーグ戦3連敗となってしまった。その日は終始、厳しい棋士の表情のままだったが、5日後、大阪で会った彼女は、声を出してよく笑う女子大生に戻っていた。愛らしい笑顔で、リーグ戦の対局をこう振り返る。

 

「完全に実力不足の負け。負けると、いまでも泣くほど悔しい。でも、まぐれで勝って、勘違いして、後で苦労するなら、悔しい思いをして実力をつけるほうがいいって、自分に言い聞かせています」