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「(新元号発表には)ずいぶん慎重になっていました。決定する過程において、できるだけその話題には触れないようにしていましたよ。緊張していたと思います」

 

そう話すのは、新元号・令和を発表した菅義偉内閣官房長官(70)の小中高の同級生で、湯沢市議を務めた由利昌司氏。

 

いまや「令和おじさん」とも呼ばれる注目度を誇るが、プライベートを積極的に語ることもなく、仕事では黒子に徹する彼の出身は秋田県湯沢市だ。67年3月、18歳の菅青年は集団就職列車に乗って上京。彼はインタビューで当時をこう振り返っている。

 

《農家の長男だから農業を継がなければならない。とにかく田舎から逃げ出したい、その一心。家出同然だった》『FLASH』13年10月1日号)

 

上京後、東京都板橋区の段ボール工場に勤務するが、数カ月で退社。朝は築地市場で働き、夜は新宿で皿洗い。その合間に勉強を続け、法政大学法学部に入学。在学中はガードマンやカレー店などのバイトで生活費と学費を稼いだ。

 

「卒業後、電気設備会社に就職しますが、『人生は一回きりだから自分の思うように生きたい』と思い直し、政治の世界に入ることに決めたそうです。大学の学生課とOB会に頼み込み、小此木彦三郎衆院議員の秘書の口を紹介してもらったんです」(政治部記者)

 

以後、11年にわたる秘書生活が始まる。5歳年下の真理子夫人(65)との出会いはこの秘書時代だと語るのは、彼を“政界のアニキ”と呼び慕う山本一太参院議員(61)。山本議員が主宰するネット配信番組に彼は3回出演している。

 

「真理子夫人は秘書仲間だった女性のお姉さんでした。菅さんは『(パッと見て)なんとなく(結婚する)』と、“ひと目ぼれ”だったと番組で私に話してくれました。真理子夫人はしっかりした方です。38歳で横浜市議からスタートされた菅さんが厳しい選挙戦を戦ってこられたときも、常に夫を信じて支えていた。『必ず政治家として大きな仕事をすると信じています』と笑顔で話していたのが今も印象に残っています」

 

前出・由利氏もこう語る。

 

「奥さんは控えめであまり前に出ない方です。中学校の同窓会にも来られました。菅さんの口から家族の話を聞くことはまずありません。それがポリシーなんでしょう」

 

87年、横浜市議に初当選。夫婦で祝った9年後の96年、ついに衆院選挙に初当選。官房長官となった13年からは首相官邸から近い、赤坂の議員宿舎住まいだ。真理子夫人は横浜駅から徒歩圏内の自宅マンションに住んでいる。地元の不動産業者によれば、「海沿いの好立地で資産価値は約1億3千万円」だという。

 

菅官房長官の秘書だった遊佐大輔氏(37)はこう語る。

 

「真理子夫人はオーラがあって、凜としたところもありますが、特別ブランドものを身につけることもなかったです。ビックリしたのが、前回の選挙でも夫人はいまだに緊張で眠れないと言い、開票前は震えていらっしゃいました」

 

真理子夫人がファーストレディになる日は来るか!?

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