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日本一の暑さを誇る埼玉県熊谷市ーー。強い日差しを照り返す道路に、黄色い菊の花だけが、くっきりと浮かび上がる。供花したのは、’09年、この場所で自動車にひき逃げされ、亡くなった小関孝徳くん(享年10)の母・代里子さんだ。

 

「命日の9月30日を迎えるたび、“事件は風化し、逮捕が遠のいているのでは”と、不安を感じます」

 

事故から10年を迎える今年の命日は、特別な意味を持つ。

 

「自動車運転過失致死罪の時効が成立してしまいます。しかし、いまだに犯人につながる物証や目撃情報はありません」

 

こう着状態とも思われる捜査。事故の際、息子は泣いていたのか、助けを求めていたのかーー。

 

「孝徳は、すごく気遣いのできる子でした。4歳のときに夫を亡くし、母子家庭だったこともあって、あんまりわがままを言わないんです。口ぐせは『うん、いいよ』で」

 

小1から始めたいと言っていたサッカーも、代里子さんが、送迎できるようになるまで我慢した。

 

「孝徳が小3になったとき、ようやく中古車を買えて、サッカーを始めることができたんですね」

 

小4の誕生日には、自分で生活を管理できるようにと、代里子さんは、プレゼントは腕時計でいいか、孝徳くんに相談。いつものように「うん、いいよ」と答えた。

 

「一緒に買いに行ったんですけど、私が近くにいると選びにくいと思って、離れたところから見ていて。それで孝徳が選んだのが、グレーのデジタル腕時計です」

 

母から大人扱いされはじめたことを、誇らしく感じていたのかもしれない。出かけるときはいつも腕時計を身につけていた。しかし、突然、親子の時間は止まってしまう。

 

「その日は、孝徳が放課後、塾と書道教室に行く日でした。教室までの送り迎えはいつも車だったのですが、その日はたまたま自転車を利用することになって。朝、孝徳が登校するときは『いってらっしゃい。気をつけてね』とふだんどおり、送り出したと思います」

 

週末には一緒にJリーグ観戦に行くことになっており、孝徳くんはとても楽しみにしていた。仕事が終わり、試合を見ながら食べるお弁当の材料を買って、代里子さんが帰宅するとーー。

 

「孝徳の自転車が見つからないんです。いつもは帰っている時間なのに。ハッとして携帯電話を見ると、知らない番号から着信履歴がありました。その番号に電話すると『すぐに病院に行ってください』『1人で来ないでください』と言われて……」

 

病院に到着すると、入口には警官が。孝徳くんがすでに警察に搬入されていることを聞かされ、その意味を感じ取った。

 

「そのときのことは、よく覚えていません。ただ、地べたに座り込んで、同行してくれた同僚と警察官に抱え上げられたと思います」

 

警察署で、孝徳くんがひき逃げに遭い、亡くなったことを聞かされた代里子さん。曇り空のなか、自転車のライトはしっかりと点灯していたという。それでも、自分を責める姿に、警察官は「絶対に見つける。これは殺人です」と、はっきり告げたという。

 

遺体の確認は孝徳くんの通う小学校の校長先生や担任がしてくれた。

 

「後頭部の損傷が激しく、『対面したらお母さんが一生傷ついてしまうので、見ないほうがいいのではないか』と、何時間も話し合われたようで。私は身につけていたもので確認しました。すると、腕時計が、プレゼントした腕時計と同じで。それで、孝徳で間違いないということになったんです」

 

代里子さんは犯人に呼びかける。

 

「生きているなら、自首して、社会的な罪を償って、人生を歩んでほしい。あのとき、孝徳は生きていたのか、泣いていなかったのか、助けを求めていたのか、私には知る権利があります。(警察から)逃げ切ったとしても、真実を聞くまで、私は犯人を捜し続けます」

 

たとえ時効を迎えても、事件は消えない。10歳の子どもと母親の未来の時間を奪った犯人は、罪を償わなければならないのだ。

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