東京港区の広尾にある、フランス菓子店「ルコント」。10数種類ものケーキの並んだショーケースの向こうから、笑顔で客を迎える女性がいた。
彼女は、500年の歴史を持つ和菓子店「虎屋」創業家の長女として生まれた黒川周子さん(39)。
そんな黒川さんは今、ルコントを経営するベイクウェルの代表を務めている。どんな経緯で、そしてどんな思いで、遠いフランスにルーツを持つ店を引き継ぐことになったのだろうか。そこには、黒川さんの両親・虎屋17代当主の“ある教え”があった――。
「私が生まれたのは、1980年の9月。そうなんです、とらやのパリの店と私は、同い年。なんでも、その記者会見の最中に、父は女の子が誕生したことをメモで知らされたそうです」
「パリの店」と言うのは、虎屋にとって初の海外進出であり、国内外で話題となった「とらやパリ店」のことだ。
前述のとおり黒川さんは老舗の長女として育ったが、17代当主となる父・光博さんと母・由紀子さん夫妻の子育ては、そうした伝統には縛られない、とても自由なものだったという。
「跡継ぎに関する話を聞かされて育ってはいません。よく『老舗ならではの教育法があったのでしょう』と尋ねられたりもしますが、それより、嘘をつかない、時間を守るなど、日常生活で守るべきことを、家族中で大切にしてきました。家族皆、新しい場所を訪ねたり見ることが大好きで、両親の仕事先について行って、色んな体験をさせてもらえました。そういえば、両親からの『勉強しなさい』もあまりなかったですね」
就学前に様々な習い事をし、聖心女子学院の初等科から中等科へ。当時、少女の黒川さんには、ひそかな楽しみがあった。
「ルコントが私の通学路の途中にあり、毎日ショーケースを眺めたり、お小遣いを握りしめてチョコエクレアを買いに行くことがぜいたくな時間でした」
そして中3の夏、勉強嫌いだったという彼女が自ら、イギリス留学を決意する。きっかけは現地の学校を見学したことから。育った場所と違うところに行きたいという気持ちがわき、決意したという。初めての留学中、最初のうちは、ホームシックで毎晩泣いていた。
「英語もできなかったし、今となっては無謀だと思うのですがーー。フットワークが軽い両親が応援してくれたからこそ実現したことです。たしかに、家風かもしれません。新しいもの好きで、趣味が多彩な先祖も多い。母方の曽祖父はドイツへ留学したり、父方の祖父も常磐津やカメラを嗜みました。今となって、そんな人たちが培ってきた環境の中で育ってきたんだなぁ、とは思います。特に、父の口癖は『やってはいけないことはない』でしたから」
大学卒業と同時に結婚、大学院へ進学し現在は上智大学名誉教授である母親の由紀子さんの人生もまた、挑戦に満ちている。
「『大人になるって、とても素敵なこと。歳を重ねるごとに人生の喜びは増えるのよ』と(母から)聞かされて育ちました」
両親から一番学んだことは、老舗の哲学ではない。“いま”に真剣に向き合う姿だった。そう語った黒川さんの気持ちが縁を結んだのか、ルコント閉店の報せを受け、1ファンとして落胆していた黒川さんに白羽の矢が立つ。
「和と洋の違いはあれ、同じ菓子店。ルコントご夫妻とは、以前から家同士の交流もありました。そこへ私が食に関する仕事を始めたタイミングが重なったのだと思います。なによりも、このままなくすのは“もったいない”との思いが――」
この時、もう一つ考えたことがあった。
「後継者がいなくて、惜しまれながら閉める店が多い。これからの時代、親から子でなくても、先輩から志ある後輩へ、という形もあるのではないかと思ったのです」
食に関する事業へのこだわりと、新しい“継承の形”への思い。脈々と受け継がれた虎屋創業一家の家風と両親の教えを胸に、黒川さんとルコントの道は続いていく。
「女性自身」2020年2月11日号 掲載