誕生直後に生存率30%の“余命宣告”…325gの娘が生きた9カ月

「この先、72時間が山場です。赤ちゃんの生存率は30%です。だから、その覚悟を……」

 

誕生直後の、半ば余命宣告ともとれる言葉。赤ちゃんのパパ、幸田敏哉さん(54)は生存率の低さに衝撃を受け、その後の説明は頭に入ってこなかった。22週と3日で生まれた奈乃羽ちゃんは、体重わずか325グラム。ここから、奈乃羽ちゃんの、親子の、闘いの日々が始まった。

 

生後1週間目。奈乃羽ちゃんは腸が破け、汚物が体内に漏れ出るという危険な状態に。翌日には奈乃羽ちゃんの全身状態を見極めた医師が「この体調なら手術に耐えられる」と判断。小さなおなかを開いて腸を体外に取り出し、破れた箇所を繕った。小さな背中は床ずれで炎症を起こしていた。細い手足には何本もの点滴の針。口には酸素を送る管、手術で開いたおなかにも管が通っていた。

 

母・幸田佑里子さん(42)が、奈乃羽ちゃんを初めて抱っこできたのは、生後100日を過ぎた5月も半ばのことだった。このころになると、奈乃羽ちゃんの体重は1,000グラムを超え、保育器も卒業。手術も繰り返されたものの、奈乃羽ちゃんの状態は比較的、安定していた。

 

「初めての抱っこで、奈乃ちゃんの体温にじかに触れて感動しました。でも、やっぱりまだ小さくて。緊張したけど、本当にうれしかった」

 

そして、ママもパパも退院後のまな娘との暮らしを夢見るようになった。

 

「私は、奈乃羽を乗せたベビーカーを押すのが夢だったんです。障害は残ると思ってましたけど、退院は絶対できると信じてましたから。親子で一緒に公園を散歩する、そんな普通のことを夢見てたんです」

 

しかし、7月10日の2度目の目の手術。奈乃羽ちゃんの患っていた未熟児網膜症は想像以上に進行していて、医師は体の負担も大きいレーザー手術を途中で取りやめざるをえなかった。

 

「結果、両目とも失明してしまったんです。いま思うと、この手術を境に、奈乃羽の状態がどんどん悪くなっていった気がします。もともと免疫力の弱い奈乃羽は、原因がよくわからない感染症にかかってしまっていて。先生が点滴の針を刺すため、肌をさすって血管を浮き立たせようとするんですが、そうすると浮腫んでただれた皮膚がベリッと裂けちゃうんです。泣き叫ぶこともできないぐらい、大人でも耐えられないような痛みだったと思います。それはもう、見てるのがつらいほどでした」

 

10月28日。呼吸状態が悪化。奈乃羽ちゃんはずっとえずき(嘔吐)続けている。呼吸器の酸素濃度を上げても上げても警告音が鳴りやまない。危篤状態とみた医師は2人に「抱っこしてあげて」と促す。それを聞いて敏哉さんは声を荒らげた。

 

「そんなことして、容体がもっと悪化したらどないすんねん。なんか、もっとできることあるやろ!」

 

最後まで医学の力と娘の生命力を信じたかった。翌29日。再びえずき始める奈乃羽ちゃん。

 

「先生から『かわいそうだからモルヒネを入れてあげてもいい?』と聞かれて。私も、痛みを和らげてあげたいと思い、同意しました」

 

モルヒネを投与された奈乃羽ちゃんは、少し楽になったようで、眠りについた。ママは小さなおでこを指先で何時間も優しくなで続けた。日付が変わり30日の午前4時前。眠っていた奈乃羽ちゃんの容体が急変してしまう。呼吸状態も脈もどんどん下がっていく。「奈乃羽!」。大声をあげる佑里子さん。下がり続ける数値。やがて医師が、改めて2人に告げる。

 

「抱っこしてあげましょう」

 

まず、佑里子さんが娘を抱いた。ためらっていた敏哉さん。それでも最後、パパは3450グラムにまで成長した娘を、そっと抱きかかえた。その瞬間、奈乃羽ちゃんは静かに旅立っていった。

 

もう少しママのおなかにとどまっていられたら、いまも両親のそばにいられたかもしれない。しかし、その間の両親の深い愛は必ず奈乃羽ちゃんに伝わっていたはずだ。佑里子さんは今も、娘に呼びかける。「きっと、どこかで、また必ず会おうね」と――。

 

「女性自身」2020年4月14日号 掲載

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