生活音でパニックに…“感覚過敏”乗り越えた19歳ピアニスト

猛暑日となった8月8日の午後4時。東京・築地の浜離宮朝日ホールのピアノ庫に、ピアニストの紀平凱成(かいる)くん(19)と両親の姿があった。9月4日に行われる紀平凱成ピアノリサイタル「Miracle」まで、1カ月を切った。それに先立ち、今日は“ピアノ選定”が行われる。

 

「ピアノは1台1台、音色や鍵盤のタッチが違うものです。本番で弾く曲目なども考慮しながら、4台のグランドピアノの中から、当日使用するピアノを選びます」

 

父親の延久さん(55)が解説してくれる。当のカイルくんは、母親の由起子さん(49)が見守るなか、180cmの長身を少しかがめるようにしてツカツカと1台のピアノの前へ進んだ。やや緊張しているようにも見えたが、鍵盤と向き合った瞬間、とびきりの笑顔に。

 

やがて聞こえてきたのは、なんとも若々しい力強い旋律だった。彼の代名詞ともいえるロシアの作曲家カプースチンや、オリジナル曲などが、ピアノを替えては次々と演奏される。40分ほどが過ぎたとき、カイルくんは1台のスタインウェイ製ピアノの前へ。続いて、元気な声がピアノ庫中に響きわたった。

 

「こっちが弾きやすい。2号機にしました。ありがとうございました!」

 

幼いころから作曲も行い、7歳で“ピアニスト宣言”。13歳で東京大学と日本財団が進める「異才発掘プロジェクト」第1期ホーム・スカラーとなり、16歳で英国トリニティ・カレッジ・ロンドン(国際的ピアノ検定)の上級認定試験に合格して奨励賞を受賞。18歳にして、ここ浜離宮朝日ホールでのデビューコンサートを成功させるなど、いま最も注目される若手ピアニストの一人である。

 

同時に、2歳のころに自閉スペクトラム症(自閉症)の診断を受け、音楽家でありながら感覚過敏などと向き合ってきたという、まさしく「異才ピアニスト」。

 

カイルくんの歩んだ道は、決して平坦なものではない。

 

小5になったころから、聴覚過敏がカイルくんを苦しめる。以前から運動会のピストルなど苦手な音はあったが、うまく遠ざければ生活に支障のない範囲だった。しかし、今度は違った。

 

「テレビやドライヤー、携帯電話の呼び出し音などがカイルの耳に入るとパニックに……。せっかくピアニストという明確な夢を持ちながら、音に対してこんなに過敏になってしまい、本人には言えませんでしたが、夢は断たれたと、どん底に突き落とされた思いでした」(由紀子さん)

 

中3になるころ、悪化する聴覚過敏に加えて、視覚過敏の症状が現れる。

 

「正面から人の顔を見られなくなったんです。外出時は、私や夫がカイルを抱きかかえて歩きました。親が壁にぶつかっていたのだと思います。カイル本人はずっとピアニスト、ピアニストと言いながら、やらせてあげたいのに、どうしてあげることもできないふがいなさ」(由紀子さん)

 

そんな両親の絶望のなか、希望の光となったのは、やはり音楽だった。なぜか、カイルくん、カプースチンの曲だけは、聴いたり、弾き続けることができたのだ。それが突破口となり、「カプースチン祭り2015」に参加。観客の前でピアノを弾ききった経験は、カイルくんを大きく飛躍させる。ホールコンサートの話が舞い込むのはその4年後。19年、カイルくんは18歳で満員の聴衆に感動をもたらしたのだ。

 

「音楽やピアノは、大切な宝物。作曲も大変と思ったことはありません」

 

カイルくん本人は、音楽という存在について、そう語った。

 

由起子さんは、「カイルは、何も学ぶことができない時期のほうが長かった。けれど、この子の根っこはやっぱりピアニストで、『音楽でみんなをハッピーにするんだから、もうだいじょうぶ』と、自ら変わり始めようとしています。私たちは、そんな彼をこれからも家族として応援していくだけです」

 

9月4日の、2度目の浜離宮朝日ホールでのリサイタルまで、いよいよカウントダウン。

 

冒頭のピアノ選定の日。選定後、本番で使用する大ホールを視察に訪れたカイルくんに、将来の夢を尋ねた。ステージに立った彼は、無限の可能性を象徴するような広大なホール空間に向かって、ワクワクを抑えられない様子で叫んだ。

 

「世界を奏でるピアニスト!」

 

力強い声がこだまする。オーケストラやビッグバンドとの共演、新作CDなど、19歳の夢は、いま奏で始められたばかりだ。

 

「女性自身」2020年9月8日号 掲載

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