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昭和史の研究で知られ、戦争をテーマにした『日本のいちばん長い日』『ノモンハンの夏』など数多くのノンフィクション作品を残した作家の半藤一利さんが、今年1月13日に亡くなった。90歳だった。

 

14歳のときに東京大空襲を体験した半藤さんは、上皇陛下の在位中、何度も御所に呼ばれて戦争の話をしたという。

 

「ドアをコンコンとたたき、開けて入った瞬間、目の前にお二人が立っていて驚きました」

 

’19年5月1日付の『北海道新聞』で、上皇陛下と美智子さまに初めてお会いしたときのことをそう語っていた半藤さん。上皇ご夫妻とは世代も近く、強い“非戦の思い”を共有するため、いつも話が弾んだという。

 

「ペリリュー島の話をした覚えがありますが、今考えてみると、前陛下がパラオのペリリュー島へ慰霊に行くことを心の中で決められた頃だったんです。マニラで30万人ものフィリピン人が亡くなったんでしょうか、とご質問を受けた記憶もあります。前陛下は昭和史にかなり詳しいのですが、僕らの話を聞いて慰霊に行く前に確認をしたのかと後で思いました」(『北海道新聞』’19年5月1日朝刊)

 

上皇陛下と美智子さまが、太平洋戦争において最も悲惨な激戦地といわれるペリリュー島を戦没者慰霊のために訪問されたのは、戦後70年の節目である’15年だった。

 

また、半藤さんは平成最後の終戦記念日となった’18年8月15日に秋篠宮邸に招かれて、悠仁さまのために2時間半にわたって太平洋戦争に関する講義を行った。『FRIDAY』(‘19年6月28日号)のインタビューでこう明かしている。

 

「昨年、当時の天皇陛下の侍従から、『秋篠宮悠仁殿下に、太平洋戦争はなぜ起こったのかを、わかりやすく話してください』という依頼があった。ですが、私は最初断ったんです。だって相手は小学校6年生の坊やですよ。そんな幼い子に単純明快に話せるようなことじゃない、無理です、と。だけど何度もお願いされて、じゃあさわりだけでも話しましょう、と出かけていったのが、8月15日でした」

 

「悠仁さまは聡明なお子さん」半藤一利さんが「戦争の授業」を
画像を見る 佳子さまと悠仁さま初の「姉弟ご公務」/(C)JMPA

 

半藤さんが1時間ほど話をしたところで休憩に入った。紀子さまが淹れてくださったお茶を飲みながら、半藤さんが「質問はありますか?」と聞くと、悠仁さまは手を挙げて「アメリカはなぜ広島と長崎に原爆を落としたんでしょうか?」と質問されたという。

 

半藤さんは「これはなかなか難しいぞ」と思いながら、日本の「戦争責任」についても丁寧に答えた。

 

「あの戦争は片一方だけが悪いんじゃない、向こう(アメリカ)も悪いんだという説が当節盛んです。ですが、少なくとも戦争の状況に持って行くまでは、日本の責任が大きいと私は考えています」(『FRIDAY』‘19年6月28日号)

 

悠仁さまは’16年12月に長崎、’18年の8月上旬には広島を訪問されていて、ずっと「なぜ?」という疑問を抱かれたらしい。太平洋戦争や原爆についてもっとお知りになりたいという悠仁さまご自身の意向で、半藤さんの講義も行われたものだった。

 

講義の後半は、半藤さんの著書の読者である秋篠宮さまからの質問を受けて、子供が理解するにはかなり難しい内容になったのだが、悠仁さまは熱心に耳を傾けられていたという。

 

半藤さんは講義後の悠仁さまの印象を、前出の『北海道新聞』の記事でこう語っている。

 

「聡明なお子さんでした。よく勉強しているようですしね」

 

終戦から74年。戦争を体験した世代はますます少なくなっていく。

 

半藤氏が悠仁さまに伝えたように、唯一の被爆国・日本は自国の戦争責任とともに「非戦」の尊さを語り継がなければいけない――上皇ご夫妻の「平和」への思いは、将来の天皇、悠仁さまに受け継がれている。

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