東京・新橋は、サラリーマンの聖地として知られる。その象徴でもある駅前「SL広場」の一角の路上で、50年前から靴を磨き続けてきたのが中村幸子さん(89)。この街で最後の靴磨き職人で、5人の子と8人の孫を育て上げた。
「こんにちは。さっ、片方ずつ、足をこの台に乗せてね」
寒風吹きすさぶ日も、猛暑の日も、少々の雨や雪だって、朝9時半から午後7時まで、じっと座って、お客を待つ。
「足を骨折してからは、私も両足を投げ出した格好でやらせてもらっています。ごめんなさいね」
中村さんの周囲には、6種類ほどの靴墨や大小のブラシなどの道具類。背後には、道路占用許可の写真入り証書と、「500円」という手書きの価格も掲げられている。
中村さんの靴磨きは、実に個性的だ。ブラシで汚れを落としたあとは、靴墨を自分の指につけて直接、靴に塗っていく。
「いや、ただ塗るんじゃないのよ。指でこすりながら靴墨を塗り込むのが、私のやり方。それで色落ちしにくくなるし、小さなキズも見つけられるでしょう」
先がカットされた手袋からのぞく指先を見せてもらうと、長い間の摩擦で指紋は薄くなり、爪の中まで真っ黒に。
「指の汚れは、もう気にならない。洗えば、けっこう落ちるし。指紋も、50年もやってれば、消えても仕方ないわね(笑)」
かつては、戦災孤児たちが生き延びる手段として、銀座、新宿、池袋などの路上で靴磨きを始め、終戦から10年後には、『ガード下の靴みがき』なる大ヒット曲もあった。
中村さんもまた「生きるため」に始めた靴磨きだったが、彼女が新橋にやってきた’71年といえば、前年に大阪万博も催され、日本が戦後の復興を、しっかり形にしつつあったころ。
以来、半世紀にわたり、バブルも、バブル崩壊も、東日本大震災のときも、路上から、ニッポンが変わっていくさまを見続けてきた。
「震災のときでさえ、汚れた靴を磨いてほしいという人がけっこういましたから。とにかく広場から人の姿がすっかり消えたというのは、今度のコロナの緊急事態宣言の期間が初めて。でも私は、一人でもお客さんがいる限り、ここに座り続けるだけ。さっ、終わりました、おつかれさま。これで、大丈夫!」
シュッシュッと小気味よい音を立てながら最後の仕上げで靴を磨き終えるまで、ざっと20分。お代は500円ポッキリの、明朗会計だ。
「お客さんは、多い日は30人くらいで、平均すると20人前後。それがコロナの緊急事態宣言で、ガクンと減っちゃった。1日5人という日も。今日は……6千円だから、12人。金曜日にしては、まあまあだね。金曜は、皆さん、土日にお金を使うから、財布のヒモも固くなるもの。だって500円あれば、ビール1杯飲めるでしょう。それを思うと、この500円玉1枚の重みを感じるの」
中村さんの1日は、ガラケーの目ざましの音から始まる。
「6時半に起きて、コンビニでおにぎりと新聞とコーヒーを買って、新橋まで電車を乗り継いで約1時間。昼食も夕食も、近くのラーメン屋さんが多いわね」
店じまいすると、148cmの小柄な体で、重たい道具の入ったカートを引き、着替えの詰まったリュックを背負って、同居する三男の家に帰宅する。
「夜の9時からは、たいていテレビ。相撲があれば見るし、あとはマツコさんの番組が好き。週末の土曜は終日寝て過ごし、日曜は息抜きのカラオケ。だけど、このコロナで歌いに行けないのは本当に残念。だから、今の楽しみは、この6月にひ孫が生まれること。女の子らしいの」
このごろ、つくづく感じることがあるという。
「最近の人は、ずいぶんとせわしなくなったわね。靴磨きが終わると、サーッと行っちゃう。昔は世間話が続いて、そこに次のお客さんも来て3人でお喋りしてたり。今の人は、気持ちにゆとりが足りないように感じます。女の人も増えました。革の長いブーツも同じ500円。私も働いた経験があって女性の職場での大変さはわかるから、頑張ってる人から多くは取りたくないのよ。
ここで靴を磨いたあとに宝くじが当たったと言って、お礼を持ってきた人もいたけど、私は受け取らなかった。自分が食べていく分とネコの餌代があれば十分。靴磨きで頑張ったおかげで、もうお墓も買ったから」
この7月で90歳。3年前の自転車事故で右足には人工骨も入っており、座るのもラクではないが、仕事は続けるときっぱり言う。
「母が102歳まで長生きしたの。だから私も、まずは100歳を目標に靴磨きを続けます」
道路使用許可などの制限もあり、消えゆく運命にあるという路上の靴磨き。
新橋に行けば、まるで街の景色の一部のようにして、わが国最後の女性靴磨き職人が、疲れたサラリーマンやОLを迎えてくれる――。
(撮影:田山達之)
「女性自身」2021年4月20日号 掲載