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誇り高く、差別にけっして屈しないオモニ(朝鮮語で母の意)。でも、差別の矛先が僕に向いたとき、オモニは初めて弱気を見せた。そんなオモニを守るため、僕は立ち上がったーー。

 

「今日の判決で正しく差別が罰せられたことは、差別をなくし社会をよくする希望になると僕は思っています。僕自身も、この判決で家族と一緒に回復していきたい」

 

5月12日、東京・霞が関の司法記者クラブで行われた記者会見で、そう力強く語ったのは、在日コリアンを母に持つ中根寧生さん(18)だ。そんな息子の姿を誇らしく見守るのは、母の崔江以子さん(47)。長く苦しい母子の二人三脚の闘いに一区切りがついた瞬間だった。

 

■新聞報道で始まったネット上でのヘイト

 

《悪性外来寄生生物種》《人もどき》《見た目も中身ももろ醜いチョーセン人》……。

 

寧生さんに向けられたあまりにも差別的な言葉の刃たち。きっかけは2018年、寧生さんが参加した、地元・神奈川県川崎市の平和イベントの様子が地元の新聞で紹介されたことだった。当時・中学校3年生の寧生さんは、共生の思いを披露。この模様が報道された直後から、ネット上の掲示板、ツイッターなどに大量の差別的な書き込みがなされた。

 

そのうち最もひどい前出の投稿が「写楽」と名乗る匿名ブログによるものだった。

 

「新聞に載ったのをうれしいなと思ったら、突然、差別的な書き込みが……。ショックもありましたが、怒りがこみ上げてきました」

 

■生活圏に突如やってきたヘイトデモ

 

もともと差別とは無縁に生きてきたという寧生さん。

 

「小さいころからオモニや家族に“2つのルーツがあるというのはとても素晴らしいことだよ”と教えられて育ってきました。友達や周囲の人から差別されたこともなかったんです」

 

江以子さんはこう教えてくれた。

 

「私たちが住む川崎市の桜本地域は、昔から地域の人たちと多文化共生の街づくりをしてきたという歴史があります。私も、差別をなくしともに生きる社会づくりを目指す『ふれあい館』の職員として、そうした環境づくりのために努力してきました」

 

自分の育った素晴らしい環境が、母を含む周囲の人たちの力によって維持されてきたものだったことに寧生さんが気づいたのは2015年。桜本にヘイトスピーチデモがやってきたときだった。寧生さんは自ら希望して、江以子さんとともに抗議のために街頭に立った。

 

「ずっと桜本に住んでいたので、世の中の人はみんな桜本にいる人たちみたいだと思っていたんです。『僕たちはともに暮らしている仲間です』と、話せばわかってくれると……」

 

だが、まだ中学生に上がったばかりの寧生さんに浴びせられたのは衝撃的な言葉だった。

 

〈朝鮮人を殺せ〉
〈朝鮮人は死ね、国に帰れ〉

 

「今まで言われたことがないような罵声を浴びて、『え!』と思った。今まで生きてきた中でいちばん嫌な時間でした」(寧生さん)

 

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