■夜間中学の存在を知り、迷った。70歳、ギリギリで勇気を出して飛び込んだ
NHKの朝ドラ『おしん』のような少女時代を過ごして、村田さんは17歳で結婚する。とんとん拍子に話が決まった夫は、日立造船のサラリーマン。18歳で長女、20歳で次女、22歳で長男、24歳で次男を授かり、安穏と暮らせるかに思えたが、夫は病弱で、その上ばくち好き。夫は働かなくなり、村田さんが一家の大黒柱になった。
末っ子が高校を終えたころ、村田さんは子どもたちに言った。
「お母ちゃん、家を出てええか?」
母の苦労を見てきた子どもたちは全員、「ええよ」と賛成してくれた。次第に子どもたちも皆、それぞれの家庭を築き、安心した彼女は、守口市内に庭付きの家を借りた。68歳だった。
「また、どっかで働こうかな」
そんなことを考えながら、市の広報紙を眺めていると、夜間中学の案内が目に飛び込んできた。
「えっ、夜間中学? 夜間って、高校だけやないのん? えっ、うちの近所やん。そうか、こんな近所に夜間中学があったんや……」
それからの村田さんは、チャウチャウ犬の「チャウちゃん」を連れて、散歩がてら、さつき学園の様子を見に行くのが日課になった。
「校門からは若い人しか出てこんでしょう。あんな若い人たちにはようついていかんわと思って」
それでも諦めきれず、毎日、チャウちゃんを連れては、学校の周りをグルグルと回った。
そんな日々が3年、続く。
「働き続ける生活のなかで、漢字が書けるようになりたいと思うことが何度かあって。夜間は高校だけと思っていたから、ぼんやりと高校へ行きたいと思ってたんです。いちばん難儀したのが新聞やった。上と下のひらがなはわかっても、間の漢字がわからない。想像で読んでました。まぁ、そない間違えてへんやろ、と(笑)」
迷いに迷っているうちに、気がつけば70歳になっていた。
「入学希望の電話をしたのは4月で、時間もはっきり覚えています。締切りは夕方の5時。ギリギリまで迷って、4時59分、『エイ、ヤッ』で受話器を取ったんです」
2011(平成23)年4月、村田さんは晴れて、夜間中学の生徒になった。
「うちのクラスは20人くらい。驚いたことに、私より8つも上の人がいたんです。『ひ孫もいる』と言っていました。あとは20歳前後の若い人が2人と外国人。これなら私もついていけるわと、安心したのを覚えています」
憧れの中学生活のスタートだ。自分の孫ほどの年齢の若い同級生たちを前に、村田さんは目を輝かせてこう言った。
「10代からずっと、いつも外から校舎を眺めていたうちが、まさか教室のなかで勉強してるなんて。教室のなかから眺める外の景色は、そりゃあ~、輝いとったねぇ。夜間中学に通うようになって、うちのなかに光が差してきた気がするんや」
村田さんは現在高校生。今も、追い求めた青春の中にいる――。