「つっぱり棒」作る3代目社長 夫婦二人三脚で業界トップを守る
画像を見る 「社長になったころは、ただただ余裕がなかったです」と竹内さん

 

■夫の入社が転機に。徐々に社長としての仕事に余裕が出てきた

 

社長就任直前にも大きな転機があった。一紘さんが県庁の職を辞して平安伸銅工業に入社したのだ。

 

「夫はずっと公務員を続けるつもりでした。結婚のとき、夫は私の祖母から『中小企業の経営は浮き沈みが激しい、覚悟しときいや』と言われて。生活の安定のため、公務員という堅い仕事で家庭を支える、そう言ってくれてたんです」

 

しかし結婚当初から、妻は仕事に追われ、疲れ果てていた。一紘さんが言う。

 

「僕は普通に有休も夏休みもありましたけど、妻は土日も仕事。以前は休日に2人でおいしいものを食べ歩くのが楽しかったのに、それもできなくなって。なんか一人の趣味でも見つけなあかんかな、人生設計やり直さないかんな、そんなことばかり考えてましたね」

 

夫婦の会話のテーマも、会社のことばかり。社内改革が進まず愚痴をこぼす妻に、夫は「こんなふうに考えてみれば?」と親身になって助言するのだが……。竹内さんが当時を振り返り、頭をかいた。

 

「もう、私に余裕がなかったんですね。『そこまで言うんやったら、自分も一緒にやりいや!』と言い返してしまって。そんなんで、だいぶ喧嘩もしました」

 

鬼気迫る様子の妻に、夫も悩んだ。「このままやったら、この家庭は維持できないかもしれん」と。そして、1年ほど熟考した末、一紘さんは転身を決断した。

 

「ちょうど為替相場が円安に振れて、会社の利益がどんどん目減りしていく、いちばんヤバい時期で。そんななか、会社のいろんな部分にメスを入れていくのは本当、しんどかったですね。それでも、僕も退路を断ち、やると決めて入ったし。『乗り切るぞ!』って妻と2人で立ち向かえたので。しんどさ以上に、じつは楽しかった」

 

平日は毎日、夫婦で朝5時半には出社し、夜11時までがむしゃらに働いた。退社後は毎晩のように、杯を傾けながら反省会。週末は自宅マンションの共有ライブラリーに陣取り、議論を続けたという。

 

「不得手だった数字の整理とか、論理的な戦略立てを夫が担当してくれて。私は新しい製品のアイデアを出すことや、企業ブランディングに時間を割けるようになって。気づけば、徐々に会社の業績も上向いていきました」

 

そろって難題に対峙することで、2人の絆はより深まり、いつしか竹内さんの肩の力も抜けていた。

 

■現在は1児の母でもある竹内さん。母としての生活もまだ始まったばかりだ

 

「夫は子供好きでしたから、早く欲しかったと思います。30歳ぐらいのときに『そろそろ』と言われましたし。でも、当時の私は会社のことでいっぱいいっぱいで。『35歳まで待って』と、手紙に書いて伝えました」

 

会社の改革が一段落したところから妊活を始め、37歳、約束より少し遅れはしたものの、長女を無事に出産した。

 

「まだ1歳ですが、誰に似たのか面倒くさい子になりそう」

 

こう言って笑う妻に、夫も苦笑しながら言葉を継いだ。

 

「子供が生まれて、なんか最近、僕、しんどいんですよ。よくよく考えたら、その原因は、妻のわがままに、子供のわがままがプラスされて、家の中の台風のような存在が2倍になったから(笑)」

 

家族3代で続いてきた、つっぱり棒の平安伸銅工業。夫を筆頭に周囲を台風のように巻き込みながら、自由にのびのびと会社を変え、成長してきた3代目・竹内さん。

 

これからは家族3人で、より大きな渦を描いていく。

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