■高血圧、大動脈解離…それでも父は“放置”に
西里さんは、埼玉の実家の父・昌徳さん(当時73)を昨年8月13日に亡くした。8月4日、最初に感染したのは母のA子さんだった。その時点で昌徳さんは陰性だった。
「母は発熱やせきの症状がひどく、父にうつしてはいけないから入院を希望しました。でも保健所から『入院レベルではない』と言われ自宅療養に。母に代わって、ふだんは家事なんてしない父が、掃除や食事を作っていたようです。『A子のありがたみが、よくわかる』なんて言っていたそうです……」
しかし、7日に昌徳さんも発症。翌日の検査で陽性が判明する。
「父は3年前に大動脈解離を発症して加療中のうえ、高血圧の持病もあったので、母と一緒に入院したいと伝えたんです」
しかし、その希望はかなわず、自宅療養に。
「父に電話するたびに、せきがひどくなっていました。父の携帯の履歴を見ると、10日には保健所に24回、埼玉県宿泊・自宅療養者支援センターにも4回電話を入れているんです。何度かけてもつながらず、不安だったんだと思います」
容体が急変したのは13日の午後。
「母は、13日も午前中から支援センターに連絡して『入院させてほしい』と訴えていたようですが、16時半ごろに私が父に電話をしたとき『それくらいなら大丈夫』と保健所の人に言われ、入院できなかったとがっかりしていました。『食事がとれない』と言うので、通販でゼリー飲料を送るから、がんばってねと伝えたんです。それが最後の会話になるなんて……」
電話を切った30分後、パルスオキシメーターで計測した血中酸素飽和度の数値は93%に。厚労省が出している「新型コロナウイルス感染症診療の手引き」では、入院を要する中等症IIにあたる。保健所の職員に伝えたが、入院はここでも見送られた。
「お父さんの様子がおかしい!」。母からの連絡が入ったのは、約2時間後の19時過ぎ。優子さんが実家に駆けつけると、担架に載せられた昌徳さんが救急車で運ばれるところだった。とっさにつかんだ足は冷たかったという。搬送先の病院で、死亡が確認された。
「せめて13日の午前中に入院できたら死なずにすんだかもしれません。父は持病があったのに、一度も診察すらされなかったんです」
1月23日、神戸市の70代女性が“自宅療養中”に死亡した。前日、不調を訴え、救急隊がきたものの、救急搬送を見送られていた。第6派に入ってから、少なくとも千葉県や愛知県、福岡県などで、自宅療養中に死亡した人が出ていることがわかっている。第5波の教訓は生かされなかった。
「繰り返さないために、検証して改善してほしいと国に訴えていたのに、結局何も変わっていないんです」(西里さん)
『倉持仁の「コロナ戦記」』(泉町書房)の著書もある「インターパーク倉持呼吸器内科」院長の倉持仁さんはこう指摘する。
「オミクロン株は肺炎になりにくいといわれますが、感染早期から有症状期、後遺症の状態まで把握できていない今は、どのような方がハイリスクなのかわかりません。新型コロナは、早期に検査して診断し、適切に治療すれば死なずにすむ病気。そのために、“検査・隔離”を徹底して感染をコントロールし、国民皆保険制度の下で等しく医療を受けられる態勢を今からでも早急に作るべきです」
“第5波”から約半年。十分な準備期間があったにもかかわらず、再び“自宅放置”が始まった。政府の無為無策の責任は重い。
【「自宅放置死遺族会」のお知らせ 】
自宅放置死遺族会は、新型コロナウイルスに感染し、入院など必要な治療や健康観察を受けられず自宅で亡くなった被害者の遺族の会です。同じ経験をされたご遺族の方、一緒に話しませんか?
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