【御巣鷹山から37年】遺族の闘い「裁判に勝って、すべての真実を明らかに」
画像を見る 日航123便墜落事故で夫を亡くした吉備素子さん(撮影:加藤順子)

 

■「主人がそばにいなければ、私は安心して泣けない」

 

「医師から『手術が必要。外出は禁止』と言われてしまいました」

 

かねて吉備さんは判決を見届けようと上京のためのトレーニングをしていた。

 

それは、自宅近くの坂上にある夫のお墓への日参。

 

「朝4時起きで、往復1時間かけて歩いていました。そうしたら股関節に無理がかかってしまい、夜も痛くて眠れなくなって……」

 

裁判では生データ開示を求めているが、被告は過去の新聞記事を証拠に「仮に情報提供義務があるとしても、すべて和解しているため義務は生じない」の一点張り。

 

8月12日、37回目の命日にはまだ、判決の報告はお預けとなる。

 

「きっと日航は、はやく私が死ねばいいと思っているでしょうね。

 

でも、絶対にくたばりません。

 

事故以来、主人のために泣けていないんです。主人がそばにいなければ、私は安心して泣けない」

 

そうして吉備さんは携帯ストラップの雅男さんの写真を見つめた。

 

遺影の威厳ある表情に比べると、髪を刈り上げ、より精悍な若き夫。

 

「主人の右手が見つかったとき、私は『やっと家に連れて帰れる』と狂喜しました。

 

でも姉が『なんで喜ぶの? 雅男さんが、亡くなったってことなのよ』と。

 

頭から冷水を浴びせられた思いでした」

 

幸せな日常を理不尽に引き裂かれたあの夏の憤怒を、37年の星霜を経たいまも、吉備さんは微塵も風化させていないのだ。

 

「主人の戒名『玅響院釋了信』は、『言いたいことがある、世界に響き渡ってほしい』という意味だと聞きました。

 

私には『事故原因を明らかにせよ』という主人の遺言のように響いているんです」

 

勝ってすべての真実が明らかとなり、愛する夫に向き合って伝えられるその日まで。

 

(取材・文:鈴木利宗)

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