■「主人がそばにいなければ、私は安心して泣けない」
「医師から『手術が必要。外出は禁止』と言われてしまいました」
かねて吉備さんは判決を見届けようと上京のためのトレーニングをしていた。
それは、自宅近くの坂上にある夫のお墓への日参。
「朝4時起きで、往復1時間かけて歩いていました。そうしたら股関節に無理がかかってしまい、夜も痛くて眠れなくなって……」
裁判では生データ開示を求めているが、被告は過去の新聞記事を証拠に「仮に情報提供義務があるとしても、すべて和解しているため義務は生じない」の一点張り。
8月12日、37回目の命日にはまだ、判決の報告はお預けとなる。
「きっと日航は、はやく私が死ねばいいと思っているでしょうね。
でも、絶対にくたばりません。
事故以来、主人のために泣けていないんです。主人がそばにいなければ、私は安心して泣けない」
そうして吉備さんは携帯ストラップの雅男さんの写真を見つめた。
遺影の威厳ある表情に比べると、髪を刈り上げ、より精悍な若き夫。
「主人の右手が見つかったとき、私は『やっと家に連れて帰れる』と狂喜しました。
でも姉が『なんで喜ぶの? 雅男さんが、亡くなったってことなのよ』と。
頭から冷水を浴びせられた思いでした」
幸せな日常を理不尽に引き裂かれたあの夏の憤怒を、37年の星霜を経たいまも、吉備さんは微塵も風化させていないのだ。
「主人の戒名『玅響院釋了信』は、『言いたいことがある、世界に響き渡ってほしい』という意味だと聞きました。
私には『事故原因を明らかにせよ』という主人の遺言のように響いているんです」
勝ってすべての真実が明らかとなり、愛する夫に向き合って伝えられるその日まで。
(取材・文:鈴木利宗)
関連カテゴリー: