弟の遺影とともに、思い出を振り返った(写真:今泉真也) 画像を見る

【前編】「弟はなぜひとりで死んだのか?」コロナ放置死遺族の真相を探る旅に密着より続く

 

「弟が他界したとき、本来なら肉親である私が沖縄に飛んで、弟の店や家の始末などすべきでした。でも、弟が移住したころから兄のように慕っていた友人の比嘉篤志さんが、『お姉さん、コロナが蔓延しているから来なくていいよ。こっちは僕らに任せて。お姉さんの元に、遺骨と遺品を届けるから。タケうっちゃんが安心して旅立てるようにするのが僕らの役目だから』って言ってくれて」

 

そう語るのは、コロナに罹患しても医療にかかることができず、自宅で死亡した人の遺族でつくる「自宅放置死遺族会」の共同代表の高田かおりさん(48)だ。2021年8月7日に、高田さんは沖縄で居酒屋を経営していた弟の竹内善彦さん(享年43)をコロナで亡くしている。

 

ひとりで自宅療養中だった善彦さん。6日に保健所と連絡が取れなくなり、8日に警察と共に保健所職員が自宅を訪れたところ、善彦さんは自室のベッドで亡くなっていたという。本来なら、患者本人と丸一日連絡が取れない場合、職員が自宅を訪問して安否確認するというルールがあったが、医療ひっ迫のために守られず、善彦さんは帰らぬ人となった。

 

当時の感染状況などもあり、沖縄に行くことができなかった高田さん。弟の友人の比嘉さんは仲間らと共に、善彦さんの遺品整理や、店の解体まですべて請け負ってくれた。火葬のあと、“偲ぶ会”も那覇市内で開いてくれたという。善彦さんの遺骨と遺品が高田さんの元に届いたあとの2021年9月25日。今度は、高田さんが喪主となって、大阪でも地元の友人らを招いて善彦さんの「お別れ会」を開いた。

 

「大阪の会場と沖縄をリモートで結んでね。沖縄の友人が、『千の風になって』や、弟が好きだったにぎやかなラップの歌を、太鼓をたたきながら歌う様子を大阪の会場で流しました。ほんまに温かくって、私、泣き笑いしたんです」

 

遺品の写真のなかから遺影に選んだのは、野球帽をかぶってニッコリほほ笑む善彦さん。写真の下には、「Thank you everyone Someday somewhere(ありがとう、皆さん。いつかどこかで)」とのメッセージが記されていた。

 

「比嘉さんが書いてくださったんです。『きっとタケうっちゃんなら、こう言うはず。これで終わりじゃない。これからも僕らは、彼を忘れずに一緒に歩いていくから』って。そのひと言に、私、どれだけ救われたか……」

 

そんなとき、同じくコロナ放置死で父を亡くした、遺族会共同代表の西里優子さんと出会う。

 

「話すことで、しんどいのは私だけじゃないって思えた。きっと、同じような人がほかにもいるはずと思ったんです」

 

話すことで、せめて慰めになれば。そう思って2021年9月27日に立ち上げたのが自宅放置死遺族会だ。

 

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