「冷たくなった息子を心臓マッサージした父」コロナ放置死遺族の悲哀
画像を見る 弟の死後初めて沖縄の地を訪問した高田さん(写真:今泉真也)

 

■「もう少し早く入院できていたら」

 

「いま政府にお願いしたいコロナ対策はなんですか?」

 

ちょうど第8波が始まろうとしていた昨年11月16日に開催された遺族会のオンライン会議では、事務局の担当者が遺族一人ひとりに、そう尋ねていた。署名活動に向けて、遺族の意見をまとめるためだ。

 

「誰もが当たり前に医療にかかれるようにしてほしい」 「診療拒否をなくしてほしい」

 

そんな声が、遺族から上がる。会のメンバーは、現在10人。これまで月に1回程度オンライン会議を開き、医師や弁護士などの専門家も交えて、それぞれの事例を検証してきた。2022年4月には、高田さんが厚生労働委員会の参考人として招致され、「必要な人が適切な医療につながれる当たり前の環境を整えてほしい」と訴えた。また、立憲民主党と共同で「『自宅放置死』対策を求める要請」を厚労省に提出。さまざまな場面で働きかけを行っている。

 

「来る波ごとに、日本では感染者や死者数が増えているのに、もう〈コロナは終わった〉みたいになっていますよね。でも、私たち遺族のように、時がたっても〈家族をコロナで放置死させた〉という深い苦しみから抜け出せないでいる人はたくさんいるはず」

 

厚労省が昨年12月に発表した統計によると、第7波中に自宅死したコロナ患者は、少なくとも776人。善彦さんが他界した第5波(202人)の3倍以上に増えた。高田さんの呼びかけで、遺族会のメンバーが、つらい経験と胸の内を記者に話してくれた。

 

北海道旭川市在住の杉山文美さん(仮名・38)は、兄の笹森総一郎さん(享年42)を2022年3月21日に亡くした。陽性が判明して、わずか2日後の他界だった。

 

「兄は、拡張型心筋症という難病を抱えていて、本当なら即入院の対象でした。だけど、病院側が兄の疾患を保健所に伝え忘れたため、入院対象にならず自宅療養になってしまったんです」(杉山さん)

 

これが悲劇の始まりだった。「息子さんと連絡が取れない」という電話を保健所から受けた父が様子を見にいくと、総一郎さんは、ベッドで冷たくなっていた。

 

「父が心臓マッサージをしても、兄が再び目を開けることはありませんでした。父は今でも〈かわいそうなことをした〉と自分を責めているんです」

 

東京都在住の40代男性は、コロナ禍当初の2020年4月、父(享年85)を亡くした。

 

「父は、マラソン大会に出場するほど元気でした。しかし、コロナに感染した当初から39度台の熱が出て意識もうろうに。救急車で運び込まれた病院でPCR検査を受けるも、〈結果が出るまで入院はできない〉と自宅に帰されたんです」

 

不運だったのは、当時PCR検査の結果が出るまでに6日も要したことだった。

 

「保健所や病院に入院させてほしいと頼んでも、〈検査結果が出るまではできない〉と言われ、父は私の目の前でどんどん衰弱し、水さえ飲めなくなっていきました」

 

陽性判明後は入院できたものの、医師は開口一番こう言った。

 

「遅すぎた。肺が真っ白です。もう少し早く入院できていたら」

 

男性が「人工呼吸器を付けてほしい」と土下座して頼んでも「一度付けたら、なかなか外せない」と断られ、父は帰らぬ人に。「二度とこんな思いをする人を出したくないんです」と男性は語る。

 

遺族会ではこのように、入院要請しても断られ、自宅放置された結果、手遅れになり、入院先の病院で亡くなったケースも“放置死”と定義している。こうした遺族の事例を聞いてきた高田さんは、次のように続ける。

 

「現場の皆さんは、本当に一生懸命やってくださっているし、ヒューマンエラーは仕方ない。だけど、コロナ禍の医療体制は人間が作っているわけで、そこに不備があって命を落としたなら“人災”だと思う。政府や自治体には、そこを改善してほしい。他界した人たちの命をむだにしないために」

 

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