「私の故郷はロシア、ベラルーシの両方向から爆撃を受けることになりました。市長は『外を出歩くのはとても危険です』と警告を発し、私たち家族は穴蔵のような自宅地下室に逃げました」
地下室に身を潜めながら、時折外に出ると、そこには焼け焦げた戦車が転がり、夜空は爆撃の炎で赤く染まっていた。3月上旬にユリヤさんは国外退避を決意。しかし、総動員令が発出されたため、54歳の父は国外に出られない。母はともにとどまることを決めた。
この先、どうしたら……。独りになり、先行きを思い悩んだ彼女の心に浮かんだのが、日本だった。
「’15年に、東日本大震災で被災した人たちのことをラジオで知りました。家や愛する人を失っても、ゼロから人生を立て直した人たちがいたことに感銘を受けました」
いつか、行ってみたい。そう心に誓って、独学で日本語を学んできた。俳句や書道の勉強も続けた。そして昨年6月。思い描いた理想とはほど遠い形ではあったものの、ユリヤさんは、憧れの国にたどり着いたのだった――。
戦禍にある祖国を思い、心が壊れそうになる思いをしながらも、ユリヤさんは創作に励んでいる。彼女の心の支えとなっているものの一つが、日本の伝統的な修復技法なのだという。
「私は昔、ウクライナの教会で『日本には金継ぎという素晴らしい技がある』と教わったことがあります。割れたつぼや欠けた皿、壊れ物は普通なら捨てるしかないかもしれません。でも、その破片はゴミではありません。その物の歴史のパートです。そして、金継ぎの技法を使えば、割れた食器は修復できるだけでなく、その価値を高められるのだと」
さらに、次のように説かれたのだという。
「人の心も同じ。とてもつらい経験をして壊れてしまった心も、決してゴミではない。きちんとつないで修復すれば、人の心はさらに成長することもできるのです」
その言葉を胸に、ユリヤさんは日本で金継ぎの技術を改めて学んでいた。そして、故郷で破壊された日用品をアートへと昇華させるのに、その技術を応用したのだ。
「すべてのウクライナ人の、いえ、戦争を目の当たりにしたすべての人の心はいま、もしかしたら壊れてしまっているかもしれません。でも、それで終わりじゃない。きちんと修復すれば、また希望を持って前を向ける日が必ず来るはず」
大好きだったウクライナの青い空。そんなかつての日常が戻ってくることを祈りながら、彼女は今日も創作活動を続けている。