■「子に夢を問うことは、親も夢を問われること」
「允翼は大きくなったら何になりたいの?」
幼い允翼さんに未来への希望を持たせたいと香理さんはときどきこんな問いを投げかけた。
「宇宙に行きたい」や「薬を作る人になりたい」と答えた時期も。
あるとき允翼さんのほうから同じ質問が降ってきた。
「オンマは何になるの?」
香理さんは一瞬答えに詰まった。
「言われたな、と。私は大学卒業後すぐに結婚して働いた経験がなかったので……。親が子に夢を問うことは、子どもから夢を問われることでもあるんだなと思いました」
いま、母は胸を張って答える。
「私は遺伝カウンセラー」
今年8月、允翼さんの姿はDO-IT Japanが主催するシンポジウムにあった。以前、質問する側だった允翼さんは、スカラー(肢体不自由、学習障がいのある学生)の道標として、質問に答える立場になっている。
東大先端科学技術研究センター内のホールの正面モニターいっぱいに允翼さんの顔が映し出される。
「大学受験の勉強って、いま思えばみたいなもの。だってそこに問題があるから、解くことができる。本当の勉強って問題そのものがどこにあるかを探さなければならない──」
落ち着いた語り口で経験を伝えた允翼さん。同じようなハンディキャップを抱える子どもたちは熱心に耳を傾けていた。
これからの人生、どんなふうに生きていくのだろう。記者が尋ねると、修士論文執筆の真っ最中である允翼さんは力強く答えた。
「自分のために勉強をするのはそろそろ終わりにしようと思います。これからは他者のために、社会を変えていくために本を書いたり、自分にしかできない発信をしていきたい」
じつは本誌記者、允翼さんと香理さんを対面させて、取材をしたいと考えていた。おもしろいエピソードが出てくるかもしれないし、そのほうが“映える”写真が撮れるかも、という下心──。
しかし、この親子、ぜんぜん会わない。予定が合いそうになっても、いつもすれ違い。記者はいつしか2人の対面取材を諦めていた。
実際に、允翼さんは実家に帰ることはないし、香理さんが仕事帰りにときどき允翼さんのもとを訪ねるくらいだという。でも、これが20代の青年と母親の自然な姿ではないだろうか。
互いの存在を気にかけながら、自分の人生を精いっぱい生きる。2人の独立した個人がそこにいた。
(取材・文:本荘そのこ/写真:水野竜也、高野広美)