4歳から102歳まで計2千人を自宅で看取った緩和ケア医・萬田緑平さんの信条「僕は“看取り屋”ではなく“生き抜き屋”」
画像を見る 医療的なデータは見ず患者の様子から『自分らしく生きる』ためのサポートを。ジョークを織り交ぜ、患者ファーストを貫く(撮影:水野竜也)

 

■妻が語る萬田医師の終活「私よりも『先に逝くから看取ってくれ』と言っています」

 

「僕は、外で遊んでいるときが本当の姿だと思っています。サッカーは7年前、ゴルフは5年前、スキーは去年やめましたが、自転車は今でも100キロぐらい走れます。太陽の下でサイクリングしながら『ヤッホー』とやっているのがいちばん楽しいからね」

 

そう語るが、コンパクトカーのハンドルを操って訪問診療に出かける萬田医師も十分楽しそうだ。手にする少しくたびれた革製のボストンバッグには、聴診器や血圧計などの医療器具は入っていない。中には手品道具やピエロなどの変装グッズが詰まっている。

 

「僕は、人が生まれたときに『おめでとう』と迎えられたように、亡くなるときも『おめでとう』と言って見送るための演出をしています。

 

患者だけでなく、その人の子や孫、飼っているペットにまで気に入ってもらわないと仕事にならないのです。僕が来ることを楽しみにしてもらうための小道具はいつもそろえています。白衣も着ません。そもそも持っていません。医学博士の学位も持っていますが、名刺に書いたことは一度もありません。なぜかって? だって患者のためには、白衣や学位なんて関係ねえじゃん」

 

還暦を過ぎ、このところ股関節が痛くて、足を引きずることも。それを見た末期がんの患者に「先生、大丈夫かい」と心配されることも少なくない。

 

そんな萬田医師について、診療所で受付をしている妻、麻里子さん(58)がこう語る。

 

「基本的には家では“自分ファースト”です。しかも面倒なことにさみしがり屋。診療所では受付の私のすぐ後ろの椅子に座っています。『ここにいれば患者さんの歩く姿が見えるから』と言いますが、それ以上に、一人でいるのが嫌だからです。家でも仕事場でも一緒なので、私はちょっと……と思いますが(笑)。

 

さみしがり屋だから亡くなるときも“自分ファースト”がいいと。私よりも先に逝くから看取ってくれと言っています。それでいて『オレは死ぬことなんて全然怖くないんだ』とも。これまで看取ってきて、あっちで待ってくれている人がいっぱいいるから不安なことはないのだとか。それは羨ましいなと思っています」

 

この夏、長年の夢をかなえるため、萬田医師は麻里子さんを連れて世界一周の船旅に出かける。

 

「若いときからオーロラを見るのが夢でした。でも妻が寒がりなので諦めていました。でも船旅なら、オーロラが出たら船室を出ればいいだけ。寒いところが苦手な妻でも大丈夫でしょう。あと、いつか末期のがん患者が、最期に船で世界一周したいと希望するかもしれない。そのときに船医として乗船できるか下調べしようと思っています」

 

生き抜き屋─―萬田医師の楽しみは、これからも続く。

 

【後編】緩和ケア医・萬田緑平さんが死亡診断書に《ウルトラマン》と──4歳の息子を白血病で失った父が語る「感謝」と「その後」へ続く

 

(取材・文:山内太)

 

【INFORMATION】

 

4歳から102歳まで計2千人を自宅で看取った緩和ケア医・萬田緑平さんの信条「僕は“看取り屋”ではなく“生き抜き屋”」
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萬田医師と死と向き合った5家族のハートフル・ドキュメンタリー映画「ハッピー☆エンド」は全国順次公開中!
https://www.happyend.movie

 

画像ページ >【写真あり】以前は群馬大学医学部附属病院などでがん治療の最前線に。苦しくない最期を迎えられるよう、患者との対話も大切に(他4枚)

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