■『最期に家で過ごすことができて幸せだった』と患者やその家族に言われることが僕の趣味であり楽しみ
そんな萬田医師が主人公となって、余命宣告後に在宅緩和ケアを選択した5人のがん患者とその家族を描いたドキュメンタリー映画『ハッピー☆エンド』(オオタヴィン監督)が公開されている。
スクリーンに登場する末期がんの人はみんな笑っている。子や孫たちとの別れは悲しいが、残りの人生を楽しく生きようと、抗がん剤などの治療をやめて、旅行を楽しんだりゴルフに興じたり、芋焼酎の入ったグラスを傾けたりして穏やかな日々を過ごす。そしてみんな旅立つ前に「ありがとう」「大好きだよ」と気持ちを伝え合う。なんだかとても幸せそうだ。映画でもっとも満ち足りた笑顔を見せていた萬田医師が語る。
「“患者の死は医療の敗北”として扱われる病院を出て『最期に家で過ごすことができて幸せだった』『先生に診てもらってよかった』と患者やその家族に言われることが僕の趣味であり楽しみ。亡くなるまでの間に患者の満足度が上がれば上がるほど、僕はより楽しくなるわけです」
銀縁メガネの奥の瞳がキラリと光った。
関東平野を貫いて流れる利根川のほど近くにある「萬田診療所」(群馬県前橋市)。入口脇には「がん患者さん専門の診療所です」という看板が掲げられている。人体模型以外は病院らしい医療機器がない“診察室”で萬田医師はこう語りだした。
「ここにやってきた患者は平均すると1カ月くらいで亡くなられていきます。なかにはいつの間にか7年以上付き合っている人もいますが、完全治癒して社会復帰を遂げた人は1人もいません。そもそも僕はがんの治療はしません」
と語る萬田医師だが、実は17年前までがん治療の最前線にいた。
’64年に東京都日野市に、会社員の父、専業主婦の母との間に生まれた萬田医師は、中高一貫校の駒場東邦高校を経て、群馬大学医学部へ。卒業後は群馬大学医学部附属病院の第一外科に勤務した。
「かっこいい外科医になるべく努力していました。医師になって平日に家で夕食を初めて食べたのは10年目。朝から深夜まで働いていました。
その一方で苦しくて悲しい死も多く見てきました。家族は『最期までがんばって』と言い、医者も『できるだけのことをします』と応じる。その結果、余命幾ばくもない患者には、フルコースの延命治療がなされます。苦しみ抜き、ありがとうもさようならも言えないまま旅立っていました」
呼吸が苦しくなったら人工呼吸器をつけ、血圧が下がって心臓が止まりそうになると昇圧剤を。そして心臓が止まったら心臓マッサージと、“死なせない”ための処置がなされる。患者の家族も、最期の別れを伝えられないまま見送っていたという。
「そんな病院死はおかしい、と医師になって1年目から感じていました。だから亡くなりそうな患者の家族に『心臓マッサージだけはしないで』とこっそりとアドバイスしたことも。想像以上に体の弱った骨はもろくマッサージで折れてしまいます。心臓マッサージを拒否した家族は、臨終を告げた主治医の背中に隠れて、僕にピースサインをしてくれました。
医師2年目からは主治医として担当を任されるようになり、先輩の反対を押し切って『がん告知』を始め、患者と家族には、死を苦しいものにしないでほしいと話をして、心臓マッサージも気管内挿管も一切しませんでした」
