緩和ケア医・萬田緑平さんが死亡診断書に《ウルトラマン》と──4歳の息子を白血病で失った父が語る「感謝」と「その後」
画像を見る 「がんばれではなく最期にありがとうやさよならを言える、自宅で逝くという選択肢もあることを知ってほしい」と萬田医師(撮影:水野竜也)

 

■萬田先生は一馬君の前に、ピエロの格好で現れた

 

主治医に紹介されて診療所を訪れた佑太さんと妻に、萬田医師は「一馬君の最期のときって、いつですか? 具体的に」と質問した。

 

「私は答えられませんでした。息子の死が来ることなんて考えられません。でも妻が『今なのかもしれません』と言ったんです。そして先生は『今やっているのは延命治療ですよね』とはっきりと。親なら1分1秒でも長く生きてほしいと思うのは当然ですが、一馬君はどう思っているのでしょうか? とも言いました。

 

そして、一馬が望んでいることをかなえ続けてあげるように努力しようと言われました。私は一馬が病院にいたくないことを知っていましたが、奇跡を待って我慢させていました。家に帰りたいという一馬の気持ちに向き合えていなかったのです」(佑太さん)

 

青木夫妻は一馬君と“笑顔でバイバイ”するために自宅に戻すことに決めた。佑太さんが続ける。

 

「退院して家に帰ることを伝えたら、萬田先生は自宅で待っていると。家に着いたら、先生がピエロの格好で現れたんです。大きな赤い鼻をつけて、ブーブーと鳴る笛を吹きながら。一馬は体調が悪くて“なに、この人?”と全然笑いませんでしたが、少しでも一馬が喜ぶことをやってくれたんですよね。うれしかったです」

 

家に帰ってきて10日目のことだった。佑太さんのあぐらの上に座っていた一馬君が、遊びに来ていた従兄弟を一人ずつ呼び出した。そして「大好きだよ」と笑顔で伝えていったという。

 

「別れの挨拶でした。一馬の妹も気になったようでそばに寄ってきました。一馬は妹にも『もちろん大好きだよ、だって一人になって寂しいじゃん』と。4歳だから自分が死ぬことはわからないと私は思っていました。でも一馬は自分の命が少ないこともすべてわかっていて、心を込めてみんなに『大好きだよ』と言って感謝の気持ちを伝えたのです」(佑太さん)

 

翌日、一馬君は両親の腕の中で息を引き取った。「天国に行くまでずっと一緒だよ」「ずっと、ずーっと愛しているよ」「パパとママの間に生まれてきてくれてありがとう」という両親の声を聞きながら──。

 

そして今、佑太さんは作業療法士の仕事をしながら、妻と一緒に週に1回、群馬県立小児医療センターで「fufufu-soup」というキッチンカーを出している。一馬君が病魔と闘った病院で、入院する子どもの付き添いの家族に温かい食事をと、低価格でおにぎりとスープを提供している。

 

「正義感が強くて社交性の塊だった一馬に喜んでもらえる生き方をしたいんです。一馬とは『また会えるよね』と約束したから、いつかきっと会えるし、そのときに『さすがパパだね』と言ってもらえるような人生にしたいんです」

 

このキッチンカーには、時々、『千と千尋の神隠し』のカオナシの着ぐるみ姿で客寄せをする人が現れる。一馬君の死亡診断書に《死亡診断書名 青木一馬 カルテ名 ウルトラマンカズマに変更(変身)》と書いた萬田医師だ。

 

(取材・文:山内太)

 

【INFORMATION】

 

緩和ケア医・萬田緑平さんが死亡診断書に《ウルトラマン》と──4歳の息子を白血病で失った父が語る「感謝」と「その後」
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https://www.happyend.movie

 

画像ページ >【写真あり】バイク、サイクリング、スキー、ゴルフとアウトドアで遊んでいる姿が本当の姿という萬田医師(他3枚)

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