■施設での集団生活は障がい者にとって本当の幸せとは言えないのではないか
「え、地域移行? それってどういうことですか?」
剛志さんとチキ子さんは事件後、被害者家族のなかで唯一、実名で取材に応じ、多くの場所で差別根絶を訴え続けた。そこで出会ったNPO法人「自立生活企画」の関係者から「一矢さんの地域移行やってみませんか」と提案されたのだ。
「私も不勉強でしたが、県も施設からもまったくアナウンスがなかったから。『重度訪問介護』という制度のことを知らなかった」
施設での長年の集団生活の結果、すっかり口が重くなってしまった一矢さんの姿に、剛志さんは改めて思いを強くしていた。「この暮らしは一矢たち障がい者の本当の幸せとは言えないのではないか」と。
「だから、そんな制度があるなら、一矢にも世間の人と同じような普通の暮らしをさせてあげたい。それこそが、一矢の幸せにつながるはず、そう思った」
こうして父母は、改めて東京都西東京市にある「自立生活企画」に足を運び、相談を重ねた。そして、一矢さんの介護リーダーに白羽の矢が立ったのが、大坪さんだった。大坪さんは、一矢さんとの出会いの場面を鮮明に覚えていた。
「2018年の8月、やまゆり園の仮園舎近くの公園でした。一矢さんとご両親と、お弁当を食べたんです」
事件後、やまゆり園は全面的な建て替え工事を敢行。一矢さんたち入所者の多くは、横浜・芹が谷の仮園舎に仮住まい中だった。
「僕はまだ、あのコンビニでのトラブルを引きずっていて。もう、自分に介護の仕事は無理ではと、自信をなくしていた。そこに、『一矢さんの介護者に』というお話をいただいて。元職員とはいえ介護者に裏切られ、命まで奪われかけた一矢さんが、どういう心持ちでいるのかも不安でした。拒否されたり、恨まれたり、かみつかれたりする可能性も否定できなかった」
チキ子さんお手製のお弁当を、おおむね食べ終えたとき。
「予想に反して一矢さんは天真らんまんというか『本当にこの人、被害者なの?』と思うぐらい朗らかで。すると、不意にデザートのメロンを僕の口元に運んでくれて、笑顔で言ったんです。『大坪さん、また来る?』って。僕、その瞬間、涙があふれて止まらなくなっちゃって」
大坪さんは「申し訳ない」と心の中で謝罪したという。それは、疑ってしまった一矢さんに、そして、亡き新田さんに対しても。
「新田さんが苦労して作り上げた『施設から地域へ』という大きな流れに背を向けようとしていたことが恥ずかしかった。それに、なんだか一矢さんといると、まるで新田さんが隣にいるような気がして。『性根を入れ直し、また頑張ります』と胸の内でつぶやきました」
その後、大坪さんは約2年間、毎週のように一矢さんのもとに通い、ゆっくりと信頼関係を構築。そして、2020年8月。NPO団体が借り上げ、現在も一矢さんが暮らすアパートで2泊3日の“宿泊体験”を実施した。徐々に環境に慣れてもらうのが狙いだったのだが……。大坪さんが振り返る。
「初日はやまゆり園の職員さん、2日目は僕が介護を担当したんです。その2日目の午前中に、ふと一矢さんがささやくように言ったんです。『せりがや、やめとく』と」
大坪さんが「ん? 何か言った?」と聞き返すと、最初はもじもじしていた一矢さん。だが、時間がたつにつれ、その声はだんだんと大きくなって。それは、一矢さんの明確な意思表示だった。
「夕方には、はっきり大きな声で『せりがや、やめとくー!』って」
その日以来、一矢さんは施設へは戻っていない。自ら「かずやんち」と呼ぶアパートでの暮らしは、やがて6年になろうとしている。
