2025年に移転したゲンロンの新オフィスにて東浩紀氏。壁一面に本が並べられている(撮影:保坂駱駝) 画像を見る

先の大戦が終わって81回めの「終戦の日」を迎えた。戦前・戦中生まれの世代は90代を超え、我々日本人にとって戦争は“歴史書の一編”となりつつある。

 

そんな戦争の風化が当たり前となった現在、2025年末に新著『平和と愚かさ』を上梓した哲学者・東浩紀氏は、旧ユーゴスラビア、ウクライナ、旧満州、ベトナム、広島などを訪ね、戦争の記憶が刻み込まれ、あるいは現在進行形で焼きつけられている場所を歩いた。 その東氏に、自らが考えてきた「戦争と平和」について尋ねると、意外な言葉が返ってきた。

 

「僕の戦争経験というのは、徹底してバーチャルなんです」

 

■語られなかった祖父の戦争と、平凡な家庭の「平和」

 

「うちの祖父は海軍に従軍していて、たぶん空母『赤城』に乗って中国への空爆にも参加していたと思います。ただ、戦闘機に乗るパイロットではなかったようです。

 

本人は戦争の話をしたかったのかもしれません。でも、おもしろおかしく話し始めると、祖母から『そんなこと言わないの』とたしなめられていました。陽気なおじいさんでしたけど、戦争について語ることの難しさを子ども心に感じていました。

 

両親は戦後生まれです。夏になったからといって、家庭内で戦争を語り合うような場面はいっさいありませんでした。本当に平凡な家庭で、父や母が平和について熱心に教育してくれたから関心を持った、というようなストーリーはまったくありません。いわゆる左派も親戚にはいませんでした。団塊世代の親族がいながら、誰も学生運動に関心がないノンポリの家系だったんです」

 

では、東氏はどこで「戦争」に出会ったのか。

 

「中学時代、ジャーナリストの本多勝一氏に傾倒していた地理の教師がいて、かなりの影響を受けました。いま思えば、中学生のころに本多さんの本を相当読んでいます。ただ、それでも僕の戦争経験はやっぱりバーチャルなんです。僕たちの世代は、そうならざるを得ない。エンターテインメントやメディアを通して戦争を学んでいくしかなかったんです」

 

■『サイボーグ009』から始まった、暴力への疑問

 

その「バーチャルな体験」は、どのような作品によって形成されたのか。

 

「きっかけのひとつは、石ノ森章太郎さんの漫画『サイボーグ009』でした。そこで初めてベトナム戦争というものを知ったんです。同じころに森村誠一さんの『悪魔の飽食』を読みました。731部隊の衝撃ですね。それからアニメの『火垂るの墓』を観たり、中学生のころに『地獄の黙示録』、高校生になって『プラトーン』といった映画を観たり。1970~80年代は、いまよりもはるかにフィクションやメディアのなかで、戦争が近い位置に置かれていました。だから僕にとっては、現実の戦争よりも作品を通して見た戦争のほうが、はるかにリアルだったんです」

 

10代の少年らしく戦車や戦闘機、小銃などの兵器に素朴なあこがれを持ったこともないという。

 

「最初からミリタリーにはまったく関心がありませんでした。一貫して興味があったのは、『なぜ人はこんなことをするんだろう』という問題です。 東京郊外の家で育ち、周囲に基地があるわけでもない。日常で戦争の傷痕を感じることもない環境にいる。それなのに、本や映画のなかには人が平気で人を殺す風景がたくさん描かれている。その強烈な落差に驚いて、『これはいったい何なんだ』と。

 

その答えを知りたくて、本を読み続けました。ベトナム戦争についても、日本のすぐ近くで起きているのに、僕には想像もつかない。その驚きがずっと続いていて、いろんなものを熱心に読むようになりました」

 

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出典元:

WEB女性自身

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