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「デビューするまでのジャニーズJr.期間はマネージャーもつきません。自分でどこへでも行き、なんでもやり、その場でお題を出されて、全力を出すという対応力は鍛えられました」

 

そう語るのは、隔週連載『中山秀征の語り合いたい人』第72回のゲスト・タッキーこと滝沢秀明(34)。14〜15歳から、ジャニーズJr.約120人をまとめ、Jr.黄金期をけん引したタッキー。中山とはデビュー当時以来、約20年ぶりの再会。和気あいあいとした雰囲気で対談スタート!2人にじっくり語っていただきました。

 

中山「お久しぶりですね。実は、タッキーとは『木曜の怪談』(フジテレビ系)で共演したご縁がありまして。中学生のタッキーが30分間『怪奇倶楽部』で主演したあとに、僕が30分間『MMR未確認飛行物体』で主演。オムニバス形式のドラマだったので、通常放送のロケは別でしたが、スペシャルのときはコラボして共演しましたよね」

 

滝沢「その節はお世話になりました!でも、もう20年以上前の話なんですね……。『怪奇倶楽部』は僕の初主演ドラマだったんです。ジャニーズ事務所に入って半年後だったので、本当に芸能界のこともドラマのことも知らず、何もわからないまま演じていましたね」

 

中山「僕がタッキーと初めて会ったとき、すごく礼儀正しくて、しっかりした素直なコだなって思いましたよ。早朝の渋谷でのロケで、すごく元気でハキハキしていたのを、今でもよく覚えています」

 

滝沢「当時は13歳ですかね。正直言うと、事務所に所属してテレビに出るのは仕事だという自覚もなく、習い事のひとつという感覚だったんです(笑)。本当に子どもだったので……」

 

中山「確かに、久々にタッキーに会って、まず『背が伸びたな』って思った(笑)。当然テレビでは見ていたけれど、実際共演する機会がなかったもんね。そもそもタッキーがジャニーズ事務所に入ったきっかけは?」

 

滝沢「何かひとつ熱中できることを見つけたかったんですね。中学に入って部活で野球もやっていましたが、しっくりこなくて。実はジャニーズに入る前はプロレスラーになりたいと思っていたんです」

 

中山「中学生のときに?」

 

滝沢「そうです。もともとプロレスの大ファンで、新日や全日などプロレス団体に電話して、入団の条件を聞いたんです。でも、『身長も体重も全然足りていないよ』と言われて諦めました。そんなとき、姉がKinki Kidsの堂本光一くんのファンだったので、芸能界はどうだろうと思って、ダメ元で履歴書を書いて送ったんです。得意なことを見つけたいという気持ちだったので、実はなんでもよかったんですよ」

 

中山「それじゃあ、新日に受かっていたら、現在人気の棚橋弘至選手たち同様、人気レスラーになっていただろうに(笑)」

 

滝沢「プロレスラーになれていたら、今でも続けていたと思いますよ!履歴書を送って1週間後くらいに、ジャニーさんらしき人から電話がかかってきて、レッスンに呼ばれ、その2週間後にはKinki Kidsのコンサートのバックで踊っていました。それで、半年後にはドラマの初主演ですから」

 

中山「それは、自分の身に何が起きているのか、わかんないね」

 

滝沢「本当にそうなんですよ。『どこそこに行って』って言われて、行って初めて、『ドラマの現場だ……』って判明するんです。取材だったり、生放送の歌番組だったり、その日、何をするのかわからない生活が、14歳からCDデビューする20歳くらいまで続きました」

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