「早稲田の受験日前夜、僕は友達に『明日の待ち合わせどうする?』と電話したんです。すると友達が『受験終わったし、何して遊ぼうか』と。『明日受験しないの?』と聞くと、しばらく間があった後、『そういえば田中、お前、今日の入試来てた?』と。そう、僕は試験日を1日勘違いしていたんです。その瞬間、僕の浪人生活が決定しました」

コントのようなまさかのミスをしでかした爆笑問題の田中裕二(47)。電話を切り、慌てて母に報告した田中だったが……。

「うちの母は、『何やってんの(笑)』と。泣きもせず、深刻にもならず、悲壮感は全然ありませんでした。あまりに予想外の失敗で僕自身、『これはおもしろい!』と友達に話したくてしょうがなかったですね(笑)』

浪人中も田中の母は、おっとりマイペースだった。『勉強しなさい』『何がなんでも合格しなさい』と厳しく言うことは、いっさいなかったそうだ。そのおかげで、7校全滅だったがプレッシャーを感じることは全くなかったという。母の絶妙な距離感が、息子の才能を伸ばしていたようだ。田中はこう語る。

「高校生以上になると、子どもに母親が『勉強しろ』と言ってもマイナスこそあれ、成功することは皆無だと思いますね。勉強しようと思う子は自発的にやっています。勉強しない子は、ちょっと放っておくぐらいがいいと思います。だからといって僕、1浪してますます勉強しなくなったんですけどね(笑)」

その後、アナウンサー志望だった田中は日大の放送学科を受けるも不合格。唯一、合格したのが日大の芸術学部演劇学科。芝居に興味がなかった田中だが、一応通うことに。そこで、田中の人生の相方となる太田光(46)と運命の出会いを果たす。

「これは1浪してよかったと思えること。人生、何が起きるかわかりません。もし、現役で早稲田の教育学部に合格していたら、今ごろ、世界史の高校教師になっていたと思いますね。太田との出会いもなく、この世に『爆笑問題』は生まれていないですよね」

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