「長男が産まれた日、原さんは出産を終えた夫人にワインを買っていきました。原さんが『この子が大きくなったら“これが、お前が産まれたときに買ったワインだ”と言ってやるんだ。きっと話が弾むぞ』と笑うと、夫人も嬉しそうだったそうです。しかし実はこのころ、彼はある女性と不倫関係にあったのです」(プロ野球関係者)

6月22日、原辰徳巨人監督(53)の自宅は異様な空気に包まれていた。降りしきる雨の中、インターフォンを押そうとする本誌記者を、屈強な球団関係者の2人組が静止する。中にいる明子夫人(59)を閉じ込めるかのような、超厳戒体制だった――。

騒動の発端は、週刊文春6月28日号の「巨人原監督が元暴力団員に一億円払っていた」と題する記事だった。’06年8月に原監督のもとを訪れた男性2人は、彼が88年に不倫関係だった女性の日記を示し「原さんが野球界から居なくなったら大変なことになる」と一億円を要求。原監督は、日記を処分する条件で、支払いに応じたのだ。

原監督が明子夫人と結婚したのは’86年。大学時代に知り合った夫人と一度は結婚を誓うも、両家からの反対を受け破局。その間、明子夫人は、別の男性との結婚と離婚を経験している。そして破局から4年後に再会した原監督は、「今度こそ!」と猛アプローチ。大恋愛の末のゴールインだった。’88年には長男を授かるなど、子宝にも恵まれた。

「今でこそ、プロ野球選手は年上女房が支える形が定着していますが、明子夫人は、その走りだったように思います。結婚の年、彼はケガに悩まされていましたが、『タッちゃん、頑張って!』と夫人が励ましていました。選手時代は食事管理、’95年の引退後は解説者となった夫のために服のコーディネートをするなど、懸命に支えてきたんです」(球界OB)

’06年の恐喝トラブルでは一億円を支払い、“もみ消し”に成功した原監督。だが、’09年4月に別の男性から「日記は自分のものだから返せ」と迫られて事件となり、やむなく球団と夫人に真実を打ち明けたという。不倫から21年目の謝罪だった。

「『長男の出産時、不倫をしていました……』という夫の告白を、夫人は黙って聞いていたそうです。それでも彼女は涙を飲んで耐えたのです。今回、世間に騒動が明るみになった原監督は、虚脱状態だったそうです。それでもすぐ練習に参加できたのは、“裏切り告白”にも耐えてついてきてくれた夫人の支えがあったからでしょう」(球界OB)

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