「当時の朝青龍関は、私からしたら大先輩で力強くスピードもある相撲をする方なので、恐れ多くて目も合わせられなかったくらいの存在。勝ったときはもちろんうれしかったのですが、ちょっと怖かったですね(笑)」

 そう語るのは、隔週連載『中山秀征の語り合いたい人』第34回のゲスト、第69代横綱・白鵬翔(29)。モンゴル相撲を遊び程度に取り組んだだけだった15歳、わずか62キロの少年が大きな夢を抱いて来日。それから15年後の今、日本を代表する唯一無二の横綱になった。そんな横綱の魅力に迫る2人のぶっちゃけトーク、スタートです。

中山「モンゴルとは文化も習慣も何から何まで違うでしょう?戸惑いました?」

白鵬「私は相撲をしに日本に来たのに、相撲以外にもたくさんやることがあったのにも驚きました。生活も稽古もつらくキツかったので、『モンゴルに帰りたい』という気持ちもありましたが、父親はモンゴルの英雄で、私にとっても偉大な存在なので、『あの人の息子なのに、日本で耐えられなくて帰ってきた』と言われるのが、自分に対して許せなかったので、踏ん張れた部分もありました」

中山「幕内に入ってからは破竹の勢いで金星を挙げていきますよね」

白鵬「私が幕内に入ったときには、貴乃花関や武蔵丸関が引退して、同郷の先輩である朝青龍関が活躍していました。私が19歳になったばかりのとき、朝青龍関に稽古をつけてもらったことがあったのですが、稽古で1回勝てたんですよ。もちろんそれ以外では全部負けましたけど」

中山「これまで歴代の力士で取り組んでみたかった人はいますか?」

白鵬「私は『知は人を作る』と思っているので、入門してから千代の富士関、貴乃花関、大鵬関のビデオをよく見て研究しました。大関になってから知った双葉山関は、過去の映像を見てしびれましたね。双葉山関が得意としている理想的な立ち合いは『後の先』と言われています。相手より一瞬あとに立っているにもかかわらず、あたり合ったあとには先をとっている。双葉山関は必ず相手をまず受ける。それがカッコいいなぁと。しかも、双葉山関は右手と右目にハンディを負っていましたが、69連勝という偉業を成し遂げた」

中山「受けなきゃいけないし、心も強くなきゃいけない。横綱になった人にしかわからないことですよね」

白鵬「私は’07年に横綱となり、5年ほど前の優勝時に、『私は強くないけれど、運があるだけ。でも、運は努力した人間にしか来ない。わずかな努力ではある程度までしかいけない。たくさん努力した人だけが、優勝できるんだ』と言いました。それに対して松山千春さんが、漢字の“運”という字について、『運は軍隊の“軍”と“走る(しんにょう)”と書く。運は戦って走る人がつかむんだ』と教えてくれました。分野が違っても、何かを極めた人の話は説得力がありますし、面白いし好きなんですよね」

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