「院内感染を防ぐための対策が徹底していて、お医者さんとの接触はなし。やり取りも、電話で行うことになっていました。
看護師さんは献身的に世話をしてくれるのですが、コップひとつ持ってくるにしても防護服を着ての重装備。ほかのコロナ患者さんと同じ場所に入院していて、そこだけがまるで“野戦病院”のようでした。
僕はふだんの脈拍が70ほどなのですが、入院してすぐに160くらいまで上がってしまったんです。さらには意識がもうろうとして、記憶が飛んでいることもあったみたいで……。
もともとあまり不安を感じたりしないタイプなのですが、かなりの恐怖感がありました」
当時について「一時は死をも覚悟するほどだった」と振り返った石田。そんな彼が真っ先に考えたのは、残される家族のこと。実は緊迫する病室で、石田は長男・理汰郎(7)への“遺言”を用意していたというのだ。
「僕が今までの人生で考えてきたことを、書き残しておくことにしたんです。子どもたちはスマホを持っていないので、妻にメールをしました。
息子には『偉くなるとか、お金をいっぱい稼ぐだけが人生じゃない。努力して新しい自分を獲得すること。これが本当に大切なことなんだよ』と。あまり時間がなかったのですが、4歳と2歳の娘たちにも『楽しく過ごしてほしい』みたいなことを書きました。
これまで、悔いなく生きてきたと思っていました。でもこういう状況になってみて、やり残したことがいろいろ思い浮かぶんですよね。あの子たちにほんのちょっとでもいいから、何か言葉を残したい。そう思いました」