本誌取材でも、常にプロ意識を見せてくれていた内海さん。 画像を見る

「実は師匠、昨年夏ごろに脳出血で入院していたんです。一時は体重も40kgぐらいまで落ちてしまって……。でも師匠は『大ごとにしたくない』と、ひそかに自宅近くのマンションでリハビリに励まれていました。おかげで少しずつ体力も回復し、最後まで芸人として表舞台に立つための努力をしていました……」(芸能関係者)

 

8月22日、都内の病院で多臓器不全のため亡くなった内海桂子さん(享年97)。現役最高齢漫才師として舞台に立ち続けた彼女の訃報に、日本中が悲しみに包まれている――。

 

’38年に16歳で初舞台を踏み、’50年には相方の内海好江さん(享年61)と漫才コンビ「内海桂子・好江」を結成。’97年に好江さんが亡くなってからも、ピン芸人として奔走してきた。’98年には漫才協会の会長、’07年には名誉会長に就任。後進の育成にも力を注ぐなど、演芸界に残した功績は計り知れない。

 

「’82年には、漫才師として初めて芸術選奨文部大臣賞を受賞。’89年には紫綬褒章、’95年には勲四等宝冠章などといった名誉ある章も受章しています。いっぽうで弟子のナイツと積極的にコラボするなど、最後まで気取らずに活躍の場を広げようとされていました。’10年には、ツイッターも開設。フォロワー数は49万人を超え、その率直な発言で若者からも支持されていました」(前出・芸能関係者)

 

常に謙虚で、人を喜ばせようとしてきた内海さん。本誌もこれまで何度も取材してきたが、いつもプロ意識に驚かされてきた。’18年の戌年企画では「面白いから」と、犬の着ぐるみを着て登場。帰り際には、記者にこんな言葉をかけてくださった。

 

「また何かご協力できることがあったらいつでも呼んでください。なんでもやりますから」

 

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