長谷川博己 実家買い取りの漢気…亡き父の「残したい」守った
画像を見る 「SEA」と大きくプリントされたジャージを着る長谷川

 

■親友に漏らした父の不安『役者で失敗したら潰しがきかない…』

 

実は長谷川、大河最終回が放映された数日後、重大な決断も下していた。冒頭の実家を“相続”していたのだ。

 

「長谷川さんの実家はお父さんの死後、お母さんが相続していましたが、今年2月に長谷川さんが代表取締役を務める個人事務所名義で購入しています」(不動産関係者)

 

武蔵野美術大学の名誉教授も務めた建築史家の父・堯さんがこの家を建てたのは’79年6月。長谷川が誕生してから2年後のことだ。堯さんと50年近く交流があった親友は本誌にこう明かす。

 

「堯さんは自然に囲まれた島根県松江市で育ったこともあり『住むなら郊外がいい』とよく言っていました。堯さんの飲み仲間だった友人の建築家に設計を依頼したと聞いています」

 

厳格な堯さんの教育のもと、地元でも評判の好青年へと成長した長谷川。しかし、大学卒業後の進路をめぐって両親と対立することとなる。

 

「映画好きだった長谷川さんは、大学卒業後に会社勤めをするも1年で退職し、俳優になるため文学座に入りました。

 

しかし、両親は猛反対したそうです。1月放送の『ファミリーヒストリー』(NHK)では恵子さんから『役者なんかやらないで医者とかを目指してほしかった』と言われたことを長谷川さんは明かしていました」(長谷川家の知人)

 

前出の親友もいう。

 

「不安定な仕事だし、文学座時代の博己くんは売れていませんでしたから、堯さんもよく『役者で失敗したら潰しがきかないよ……』と心配していました」

 

それだけに、過去に一部では長谷川と堯さんの不仲説が報じられたことも。しかし、実際は“似た者親子”だったのだ。

 

「堯さんも大学卒業後、定職につかずライター活動で食いつなぎ、大学の講師になったのは30代になってからでした。好きなことで稼ぐ大変さを知っているからこそ、同じ苦労をさせたくなかったのでしょう」(前出・知人)

 

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