寂聴さん「私には最後まで愛する人がいた」30年交流の元スタッフに託した遺言
画像を見る 12年7月 食べるのが大好きだった。天台寺の庫裏で(撮影:永田理恵)

 

■「死にたいんだけど、ごはんが出ると、つい食べちゃう」

 

またAさんは寂聴さんと50年来の交流があった。スタッフではないが、尼寺・寂庵の主である寂聴さんのことを親しみを込めて、庵主さんと呼んでいる。

 

「コロナ禍でお会いできなくなって、最近はしょっちゅう電話でお話ししていました。長くしゃべりすぎるとお疲れになるのではないかと、『もう切るね』と言っても、庵主さんがまた話しだすので、いつも長電話になってしまいます。この夏の終わりごろから、こんな冗談めいたやり取りが始まりました。

 

『もう生きすぎて死にたいんだけど、ごはんが出ると、つい食べちゃうのね』、『それじゃまだ死ねないですよ(笑)。でも本当に死にそうになったら私に電話をしてください』」

 

寂聴さんからAさんに最後の電話が突然かかってきたのは逝去の3週間ほど前だったという。

 

『いま、入院しているのよ』

 

しかしAさんが驚くほどの元気な声だった。

 

「庵主さんは、私が母親と姑を介護してみとり、いまは夫を介護していることをご存じでした。

 

『あなたは人の世話ばかりして、ずっと誰かをみてるでしょう。もっと自分の体を大切にしなさい』

 

いつにない真面目な口調でした。私は、『入院している病人に励まされるなんて、逆じゃないですか』と、いつものように笑い合って電話を切ったのですが、それが庵主さんと話した最後になったのです」

 

次ページ >「人間は誰かを愛するために生まれてきた」

【関連画像】

関連カテゴリー: