寂聴さん「私には最後まで愛する人がいた」30年交流の元スタッフに託した遺言
画像を見る 15年ごろ、桜が咲き誇る天台寺で法話を(撮影:永田理恵)

 

■「人間は誰かを愛するために生まれてきた」

 

「もう死にたい」と、口癖のように愚痴るいっぽうで、“挑戦をやめない”のが寂聴さんの生涯だった。

 

本誌が半年前の5月25日号に掲載した99歳誕生日記念のインタビューでは“100歳の夢”について語っている。

 

「実はいま長編小説のテーマが1つ頭の中で固まっていて、死ぬまでにそれを書きたい、という夢を持っているのです。でもそのためには遠くへ取材に行かなくてはなりません。体力的にどうかなぁと、非常に悩ましい。

 

ほかにも句集『ひとり』(深夜叢書社)に続く、2冊目の句集も出したい、などと夢見ているところです」

 

前出の加藤さんは、寂聴さんの生き方についてこう語った。

 

「先生が仕事部屋にしていたマンションには、恋人たちのお写真がずらっと並んでいました。小説『夏の終り』にも登場する作家・小田仁二郎さんや年下の恋人、それに井上光晴先生……。

 

また5年くらい前に、先生は真剣な口調で言いました。

 

『プラトニックラブだけどもね。いま、とてもいい男がいるの。私が死んだときはね、私には最後までそういう(愛する)相手がいたことを、ちゃんと書いてね』

 

法話でいつも、『人を愛しなさい、人間は誰かを愛するために生まれてきたのですから』、そう話していたのを、昨日のことのように思い出します。

 

先生は言うだけの人ではありませんでした。その言葉どおりに、最後まで愛する人がいらしたのですから、先生は思い残すことのない幸せな一生をまっとうしたと思います」

 

書いて、祈って、愛して、救って、挑んで……。瀬戸内寂聴さんの99年の生涯は好んで集めていた万華鏡のようにまばゆく輝いているーー。

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