■本人の希望でがん闘病は公表しなかった
だが、まことさんのがん闘病は、身内のごく一部にしか知らされておらず、1年半にわたって秘められてきた。それは、まことさんの強い希望だったようだ。病院で平原一家を目撃した後、本誌はまことさんや平原の所属事務所に事実確認を申し入れた。
すると、当時の担当者は、まことさんの病状についてこう語ったのだ。
「家族で腫瘍センターを訪れていたこと、また、まことさんが病気であることは事実です。
しかし療養の経過は順調で、まことさんは近日中にライブも控えています。本人は“知り合いの音楽関係者たちやスタッフたちに、自分の体調のことで心配をかけたくない”という気持ちでいるのです」
本誌は、まことさんの意向をくみ、体調回復後に再度相談をするということで、当時は闘病について報じることはなかった。
だがコロナの猛威が増していくなか、まことさんが体調不良を隠してまで、出演を熱望していたライブは延期に。コロナ禍もなかなか収束せず、逝去するまで、まことさんがステージに立つ機会は訪れなかったのだ……。
まことさんの壮絶ながん闘病の支えになっていたのが、“綾香ともう一度共演したい”という思いだったという。前出の音楽関係者によれば、
「まことさんと綾香さんは、『平原綾香ライブ with 平原まこと』という親子ライブを開催していました。がんが判明する直前の、’20年3月に千葉県市原市で開催予定だった親子ライブはコロナのために’21年1月に延期。さらに’22年1月に再延期となってしまっていました。
まことさんにとって、綾香さんと2人でステージに上がるという目標は闘病の励みになっていたようです。実現できなかったことを本当に残念に思います……」
冒頭の追悼コメントで、平原は父が導いてくれた音楽への思いについても語っている。
《父が表現してきた音楽の真髄に手を伸ばし、たくさん勉強し いつか掴み取りたいと思います。そして、いつか、平原まことのような音楽家になります》
幼い日に見た、逞しい腕でサックスを演奏するまことさんの姿はいまも平原の胸の内で輝き続けているのだーー。