石原慎太郎さん 殴らず、叱らず…良純を気象予報士に導いた“非スパルタ”ヨット交流
画像を見る 89年、裕次郎さんを偲ぶヨットレースでの慎太郎さんと良純(写真:産経新聞)

 

■父と乗るヨットの上で天気に興味を持った

 

良純は、大学在学中の1982年に俳優デビューし、叔父が率いた石原軍団の一員として、映画やドラマの世界で活躍。

 

50代になってからは、バラエティ番組を中心に多数のレギュラー番組を抱えるブレークぶりの一方、芸能界では珍しかった気象予報士の資格を持っている。「天気予報との出会い」は、“父とのヨット”がきっかけだった。石原家を知るテレビ局員はこう語る。

 

「良純さんは慎太郎さんと乗ったヨットの上で、“雲ができる仕組みや風向きが変わる理由を不思議に思ったことがきっかけ”で、気象に興味を抱き、気象予報士を目指そうと思ったそうです。

 

試験当日、良純さんは慎太郎さんに、『そんなのやめてゴルフに一緒に行こうよ』と誘われて、言葉を失ったと笑っていました」

 

だが良純によれば、慎太郎さんから口やかましく指図されたことはまったくなかったと、過去のインタビューで明かしている。

 

《親父は何にも言わない人です。ただ大枠で、「自己発信する人間になりなさい」と。

 

それは役者でも物書きでも、政治家だろうが銀行員だろうが画家だろうが、仕事は関係ない。ですから、僕の仕事についてとやかく言われたこともない》(『読売ウイークリー』2003年12月21日号)

 

慎太郎さんには、1969年に出版された『スパルタ教育』(光文社)というベストセラーがある。体罰を肯定するなど、“強き父”を前面に打ち出した主張は、当時多くの物議を醸した。

 

だが驚くことに、実際の慎太郎さんは、破天荒さとは程遠い“子育て美学”を貫いていたという。 2001年2月に本誌のインタビューで、良純はこう明かしている。

 

《よく“お父さんのスパルタ教育で育てられたんですか”と聞かれますが、親父に怒られたこともめったにないし、ブン殴られた記憶もありません》

 

殴らず、叱らずーー。

 

慎太郎流スパルタ教育を、良純はこう受け止めていた。

 

《社会に出て一人前の男と扱われるようになって、親父の言うスパルタ教育の意味がわかってきました。男は自分の信じる正義に向かって、信念を曲げずに困難に立ち向かっていく。石原家の親父の実践は、男として家族とどういうふうに接していくかの理想を示しているようにも思えるのです》

 

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