■本誌の記事で亡き娘の真情にふれたという聖子
さらに翌年、同舞台の愛知公演の楽屋で再会した際には沙也加さんはこんな言葉を……。
「私、(先日は)生意気言っちゃってごめんなさい。私も母の“有名税”にずっと悩んだりしていたんですけれど、やっぱり母親がいちばんつらいって思うようになって……。
産んでくれた母親が私をいちばん愛してくれているから、その真実があれば悪く書かれても仕方ないかなって。だからあんなこと言っちゃったんです……」
他人だからこそ素直に話せることもあるのだろう。“母親が私をいちばん愛してくれている”……、長年の不仲報道にも傷ついていた聖子は本誌の記事で、生前の沙也加さんの真情にふれ、思わず涙を流したというのだ。
1年前の悲劇の後、聖子は自宅で愛娘の歌声を繰り返し聴いているという。ミュージカル『レ・ミゼラブル』の曲の1つ『プリュメ街』の生音源だ。
YAHIMONさんが続ける。
「聖子さんは天才肌、沙也加さんは類いまれな努力家と、タイプは異なる2人でしたが、お互いに認めていたのは間違いありません。特に聖子さんはお嬢さんのミュージカル女優としての姿勢を高く評価していたのです。
知り合いには、こんなふうに語っていたと聞いています。
『サヤはね、自分の娘でなくても、すごいと思っているの。あの子はずっと勉強を続けているから。「レ・ミゼラブル」の原作さえ、きちんと読み込んでいるのよ』と」
YAHIMONさん宛ての手紙には、次のような一節もあった。
《もう少しで完成する新しい部屋は、沙也加が切り開いたミュージカルのお衣装や楽譜でいっぱいにしようと思います》
昨年6月から、聖子は自宅の隣地に新しい家を建築していた。事務所として使われていた建物を取り壊し、母・蒲池一子さん(90)のためにバリアフリーの家を建てたのだ。沙也加さんの急逝もあり、完成は数カ月遅れたが、実は聖子はこの建物に沙也加さんの部屋も用意していたという。
「聖子さんは、そのことを沙也加さんに伝えていたそうです。『サヤのお部屋もあるし、お祖母ちゃんも喜ぶから、好きなときにいつでも顔を見せてね』と。昨年10月ごろのことだと聞いています」(YAHIMONさん)
親子関係についてはさまざまな報道があるが、一部週刊誌によれば、年上のミュージシャンとの恋愛を反対された沙也加さんが実家を出て、一人暮らしを始めたのは’05年のことだという。
聖子は“17年ぶりの同居”を提案していたようだが、昨年10月といえば沙也加さんはミュージカル『マイ・フェア・レディ』の準備に励んでいたころ。また同舞台でも共演した元俳優・前山剛久氏(31)との交際が始まっていたころでもある。公私ともに充実していたように見える沙也加さんに対し、なぜ聖子は実家に戻ってくるように勧めたのか?
「聖子さんはかなり早い段階から、沙也加さんと前山さんの交際を知っていたそうで、彼がどういう人物なのか、人脈を頼って聞いていたようです。聖子さんのカンの鋭さについては昔、私も何度も目撃しているのですが、“この恋でサヤは幸せになることはできない”と感じたのでしょう。
“傷つくかもしれないサヤの居場所を作らねば”と決断し、あえて沙也加さんに帰ってくる家があることを伝えたのだと思います」(YAHIMONさん)
この10月に完成した“サヤの部屋”には、沙也加さんの笑顔の遺影が飾られ、衣装や愛用していたピアノも置かれているという。