■2年以上前から計画されていた「格下夫」切り
「離婚発表のコメントで、深沢さんのことを“パパ”と表現していることから、家族としての関係性だけになっていたように思われます。
いまは“卒婚”という言葉が流行っていて、離婚せずお互いに別々の道を歩むというご夫婦は数多くいらっしゃいます。あえて離婚という区切りをつけることで、人生をもう一度やり直したい、という意気込みも感じます。また、財産をきっちり分けたいという考えもあるのかもしれません」
今年は娘が成人式を迎え、子育てでもひと区切りを迎えていた田中。1月10日のインスタグラムにはアフロヘアに扮装した自身の写真とともに、「成人の日に娘の大好きなブルーノマーズが駆けつけてくれたらどんなに喜んでくれるだろうか!」と投稿。かなり“愛情とクセの強い”お祝いだが、そこに深沢の姿はなかった。
「今回の離婚は2年以上前から計画されていました」と語るのは、田中を知る芸能プロ関係者だ。
「田中さんは、長年所属していた事務所から19年に独立し、一時期は個人事務所で活動していました。マネージャーをたてず、本人が直接送る丁寧な営業メールは、業界で話題になっていました。
その個人事務所は夫婦が役員となっていたのですが、’21年3月に深沢さんが辞任。同時に娘さんが役員に就任し、夫婦2人から母子2人へと体制を切り替えているのです」
関係者はさらに続ける。
「じつは、同じころから夫婦は別居しています。深沢さんが自宅から出ていく形で、近しい人には隠していなかったようです」
突然の発表に思われた離婚は、着々と進められた“夫切り”だったのだ。