■「このままガタがきて死んでいくのかな」
最愛の母が旅立ち、マツコは父を心の支えにしていたようだ。かつてインタビューで終戦まで旧満州にいた父からは戦争の体験談を聞かされていたと語っている。
《隣で人が火だるまになって死んでるような時代を生きた人なら、子どもが女装してメディアに出たって、『まあ、とりあえず生きてるし』って動じないよなって》
《生きていられるんだから、セクシュアリティなんて何でもいいって気持ちが自分にあった。それにはすごく感謝してるわね。あの親じゃなかったら、今の私はなかったから》(『朝日新聞』’13年7月25日付)
マツコはブレイクした後、両親へある“ルーティン”を欠かさないようにしていた。
「折に触れて仕送りをするようになったそうです。けっしてご両親がお金に困っているわけではなく、『ちゃんと仕事して稼いでるから安心してほしい』という思いからだったといいます。ただ、父親が90歳を過ぎて独居するのは心配だという思いから、実家じまいをして施設への入居を決めたようです」(前出・テレビ局関係者)
終活カウンセラー協会代表理事の武藤頼胡さんはこう語る。
「実家じまいとは一般的に、住まなくなった自宅を売却したり、高齢者住宅などに住み替えたりすることを指します。実家の整理を子供が行う場合は、頻繁に通うことが前提になるのでかなりの負担になります。
そのため、遺品整理業者、特殊清掃業者などプロのサポートを受けることも増えてきています。生前整理を頼む人でいちばん多いのは介護施設に入所する方なのです。あらかじめ実家の整理を行うことで、家族の心の整理がつけられる面はあります」
前出のテレビ局関係者は言う。
「自らも50代に突入して体調がしんどくなってきていて、メークでも目のクマが隠し切れなくなって老いを実感するようになったと聞きました。『最近は性欲も食欲も興味が全然なくなったの。このままガタがきて死んでいくのかな……』と嘆いていました」
マツコは今回の決断にあたり、憔悴していたようだ。冒頭の『徹子の部屋』で、
「終の住処を考えないといけないなって……。どこで最後に家を買うのかわからないけど……」
と語っていたマツコ。新居は東京を離れ、今は那須塩原が気になっていると明かしていた。
「階段の上り下りが特につらいそうなので“広い平屋の一戸建てを建てて終の住処にしたい”と言っているのは聞いたことがあります」(前出・テレビ局関係者)
実家じまいが、自らの終活も始める契機になったのかもしれない。