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「手術で声帯も傷つけることになって……。でも、いまは痛みも乗り越えて、なんとか復帰しました」

 

64年の東京五輪で実況を務め、いまも現役で活躍する名アナウンサー、押阪忍(82)。相次ぐ大病に見舞われながら、同業の妻・栗原アヤ子(76)に支えられ二人三脚で復活した日々を、夫妻そろって本誌に明かしてくれた。

 

押阪といえば昨年8月、NHK朝ドラ『ひよっこ』にクイズ番組の司会者役として出演し、ネットで大きな反響を呼んだ。

 

「ツイッターやインスタで“爆発”しました(笑)。昭和が舞台のドラマでしたから、僕が69年から11年続いた人気番組『ベルトクイズQ&Q』の司会をしていたことで、昭和の顔の一人としてオファーをいただいて。たくさんの人が『懐かしい』と、見てくれたようですね」

 

じつは、その朝ドラ登場直後に大動脈瘤が見つかったという。

 

「9年前に大腸がんの手術をして、やっと治療が終わりかけたときでした。医師から『腹部に瘤がある』と言われたんです。そのときは医師からも“この程度の大きさなら大丈夫だろう”と言われてそのままにしていたら、昨秋、急に大きくなっていたことが判明しまして。あと数ミリ大きくなったらいつ破裂してもおかしくない、破裂したら出血多量で死に至る場合もあると言われ、急遽、12月に手術することになったんです」

 

大腸がんの手術をやっと乗り越えたのに、さらなる病魔に襲われていたとは――。しかも、今回の手術では“アナウンサーの命”ともいうべき声を損なう懸念もあった。

 

「手術の麻酔で長い管を喉から通したため、声帯を傷つけることになり、(一時的に)しゃがれ声になりました」

 

押阪が受けたのは、鼠蹊部を切開してカテーテルを血管に入れ、瘤を吸収して小さくする手術だった。術後はリンパ浮腫ができ、いまも痛みがあるという。

 

「2週間前、痛みが出て来たので医師に訴えたところ、リンパ液が溜まっていたんです。それで注射で抜いてもらいました。今もけだるさがあり、気力や体力、体重も元には戻っていません。3つあった瘤が小さくなっているか、これから定期的に検査をしていって、場合によっては再手術の可能性もあるようです」

 

手術を年末にしたのは、お正月に「妻のお雑煮を食べたかったから」と押阪。じつは、栗原も93年に“肺スエヒロタケ感染症”という肺にキノコ菌が繁殖する奇病を発症して大きく報じられたことがある。現在も体調に波がある身だ。

 

「私の肺は、90代くらいの肺になっているんです。ですから、私の看病ぶりには子供たちも驚いています。“重病人が重病人を支えて介護している”と(苦笑)。私が倒れるんじゃないかと心配してくれました。でも、夫が退院したときは家族みんなで喜びました。次男も毎日、病院に通ってくれたし、長男のDJ OSSHYもメールやLINEをくれていました。おかげさまで家族がひとつになれましたね」

 

押阪も、病を克服できたのは“妻のおかげ”と照れ臭そうに感謝する。大病を経て、ようやく仕事復帰が近づいてきた押阪。

 

「いまの私のレギュラー番組は全国のFMラジオで放送している『ワンポイント・フィットネス』で、25年目になります。たぶん“現役最高齢アナウンサー”なので、そろそろ潮時かなと思っておりますが、まずはこの1年、古参らしくしっかり務めてまいります」

 

82歳にして意気軒高な押坂は、今後の抱負をこう語る。

 

「金メダルに輝いた女子バレー“東洋の魔女”を実況していた、東京五輪の生き証人ですから、2年後の東京五輪・パラリンピックまでは、シルバーパワーで元気に日本選手を応援したいと思います。実況は無理ですけどね(笑)」

 

いやいや、東京五輪で“85歳の実況アナ”実現をぜひ!

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