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東京・渋谷のライブハウスSHIBUYA CYCLON。6組のバンドが登場するイベントのトップを切って登場したのが、「Dire Wolf(ダイアーウルフ)」の2人だった。ボーカルを務めるのが「Yu」、ベースは「Shisyo」。2人とも3桁の体重を誇る超重量級ユニットだ。

 

ビートに合わせて大きな体で激しく踊るYu。2人の奏でる音楽に、お世辞にも多いとは言えないものの、十数人のコアなファンが腕を振り上げていた。

 

「うちら、そろってこんなデブですけどね、そんな大食いではないんですよ。食べる量は普通。ただね……少量をずーっと食べ続けていられるんです(笑)」

 

この言葉に、若いファンたちは、声を上げて笑っていた。

 

Yuこと、前川侑那(27)は歌手・前川清(70)の次女。前川清といえば、押しも押されもせぬ歌謡界の大スター。’69年に「内山田洋とクール・ファイブ」のボーカリストとしてデビュー。以来、半世紀もの長きにわたって芸能界の第一線を走り続けてきた。デビュー曲の『長崎は今日も雨だった』以降、『そして、神戸』『東京砂漠』『雪列車』……数多のヒット曲を持つ。

 

本誌は、ライブ終了後の侑那にインタビュー。侑那はデブネタの続きとばかりに、こう切り出した。

 

「いまは体重106キロですけど、生まれたときは3,800グラムしかなかったんですよ(笑)」

 

子ども時代はわんぱくだった。

 

「運動神経も悪くなかったから、スポーツばっかりやってました。小学校2年生からはずっとサッカー。体が大きかったのでゴールキーパーをやっていました」

 

高校1年で東京都選抜にも選ばれ、体育大学に進んでサッカーを続けることも考えていた。しかし、ちょうどそのころ、侑那は膝の大けがに見舞われてしまう。それに当時、女子サッカーはいまほど人気がなく、食べていけると思えなかったという。

 

「けがを押してまで続けるのが現実的じゃないな、と思って。結果、私に残ったのは歌だけになった、そんな感じです」

 

サッカーを断念した侑那は歌手になる夢に向かって歩み出した。洗足学園音楽大学のロック&ポップス科に進学。同じ大学の仲間と「ダイアーウルフ」の前身となるバンドを結成し、2年前からは現在の2人組に。いまは近い将来のメジャーデビューを目指し、ライブ活動を続けている。

 

ところで、人前で歌うようになった彼女が、自分のことを「前川清の娘」と公表するのは、じつは最近になってのことだった。

 

「子どものころは別に隠してもいなかったんです。大学でもそう。学校の友達には、私が前川清の娘だって最初から話してました。でも一歩、学校の外に出ると……父親の名前を聞いただけで態度が変わる人や、すり寄ってくる人も少なくなくて。ちょっと人間不信になりました」

 

だから、音楽を仕事にしていこうと決意した当初、父の名前を公にすることに、ためらいがあった。

 

「でも、去年の初めごろですかね、周りから『使えるものは使っていこう』という意見が出て。私も、2世が親の名前をどう使おうが、売れて、生き残れるのは、しっかりした実力と個性がある人だけだとわかってきたので。だったら、別に公言してもいいかな、と」

 

そして、こう力を込めた。

 

「まだ、まったく売れてないし。こんなこと言うと笑われちゃうかもしれませんが、根拠のない自信があるんです。私は、リズム感では誰にも負けないと思ってるし、他人にはない何かを持ってるって。だから、堂々と『前川清の娘です』と言っていこう、そう思ってる」

 

ロックバンドでメジャーデビューを目指す娘・侑那について、芸能生活50周年記念のコンサートのさなか、旅先のホテルで前川から話を聞いた。

 

「2世というのは、得な部分と損な部分、両方あるんでしょうね。一般の方よりも最初にもらえるチャンスは多いんでしょう。侑那が今回、記事にしてもらえるのも、やっぱり2世だからでしょ。その代わり、何をやっても親と比べられたり、ちょっとつまずいたら『やっぱり2世はダメだ!』となるでしょ。とはいえ、やっぱりうちの子どもたちは、彼らがどう感じていようと恵まれてると思いますよ。僕とでは、時代が、環境が決定的に違う。子どもたちはシビアさ、ハングリーさをね、もうひとつ持ててない」

 

前川の父は大工だった。仕事を終え帰宅した父から、母が日当をうやうやしく受け取る姿??それが彼の原風景だ。

 

「日当300円とか400円の時代ですよ。それも、雨が降ったら仕事は休みで日当もなし。だから、貧しかったですね。運動会の弁当なんて、友人に見られたくないぐらい粗末だったから、隠しながら食べたもんです。でも、それが当たり前の時代だった」

 

’48年生まれの前川は、いわゆる第一次ベビーブーム世代。日々の競争も激しかった。

 

「親は頼れないですから。それはもう、自分で食っていくしかない、だから、侑那みたいに『好きな道に進みたい、歌手になりたい』なんて、考えたこともないです。食っていくためには何ができるか、必死に考えてきた。それがたまたま僕の場合は歌だった」

 

その思いは、キャリア50年を迎えたいまも変わらない。

 

「いまだって、いつ売れなくなるか、食えなくなるかと毎日、不安ですから。50年と言われてもピンとこない。僕ね、子どもと添い寝したこともないですもん。僕は誰かに横にいられるだけで眠れないんです。夜は真っ暗にして、その日のことを反省し、明日は大丈夫かなと心配しながら、やっと眠る。その連続です、50年間ずっと」

 

根拠なく自信満々な娘とはえらい違いだ。前川は娘の歌手としての将来を「まあ、無理でしょ」と話す。その真意とは??。

 

「そのままですよ。90%はアウトだと思ってます。芸能界というのは、いくら才能があっても、いくら本人が努力しても、また、いくら親が応援しても、売れない人は売れないんです。ところが、これまた芸能界の面白いところで、何かちょっとしたことがきっかけで、ポッと売れることもある」

 

だからね、と前川は居住まいを正して続ける。

 

「最近は渡辺直美さんや、マツコ・デラックスさんのように、太めの人がウケてるでしょ。侑那はあの体ですから。それに、ライブを見ると、歌ってる歌は、僕にはさっぱりわかりませんが、パフォーマンスとしては少しは面白いかな、と思う。だから、言ってるんです。「死なない程度に太れ」って(笑)」

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