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「昨年クリスマス、お笑い番組を見ていたとき『アハハ』と大笑いしていることに気づいて、自分でビックリ! それはまるで、胸につかえていた黒いカタマリが『ポンッ』と音を立てて抜けて出ていったようでした」

 

こう話すのは、エッセイストの安藤和津さん(70)。夫は俳優・映画監督の奥田瑛二さん(68)で、長女・桃子さん(36)は気鋭の映画監督。そして次女・サクラさん(32)は女優で、平均視聴率20%超えと絶好調の朝ドラ『まんぷく』のヒロインだ。

 

そんな一家を支えてきた安藤さんだが、母・昌子さん(享年83)の介護でうつとなり、母を見送った後も“介護うつ”状態で過ごしてきたという。

 

10月18日にはその壮絶な介護の内実をつづった新著『“介護後”うつ』(光文社・1,300円+税)を出版。すっかり“うつ抜け”した安藤さんが、13年にわたる介護の日々を初めて振り返った――。

 

「脳腫瘍の影響で、やがて老人性うつ、認知症を発症してしまった。感情のコントロールが利かない母は、私が記憶している愛情あふれる母ではなくなっていました。憎らしい、鬼のような存在になっていたんです」(安藤さん・以下同)

 

そんな状態にもかかわらず、夫や娘は、大きな慈しみをもって向き合ってくれたという。

 

「施設や病院か、在宅介護のどちらを望むか聞くと、みんな『絶対、ウチ!』と即答してくれた。夫は『在宅介護には費用がかかるけれど、僕たち夫婦が頑張って仕事すれば、なんとかなるよ!』って。うれしかった、心強かった……」

 

そう振り返る安藤さんの目が、みるみる潤んでいく。実際、奥田さんは献身的に介護に参加。トイレで母の血圧が急に上がって倒れこんでしまったとき、ちょうど帰宅した彼は、義理の母をおんぶして寝室まで運んだのだという。

 

「夫は62キロでしたが、74キロもあった母をおんぶして、汚物まみれの母のお尻を素手で抱えて、洗浄までしてくれた。娘たちもおむつ替えを手伝ってくれたし、血ではなく心のつながりで『ひとつの家族になったんだ』と実感しました」

 

家族の愛に包まれながらも、安藤さんは母の介護に、仕事以外のほとんどの時間を費やしていくようになる。

 

夜は夜で15分おきに「かづさ~ん」と呼ばれ、「1日わずか2時間」と睡眠不足でフラフラになりつつ、泣きながら明け方まで付き添うことに。しかし過労から、ドクターストップがかかり「24時間体制のヘルパー」にお願いするしかなくなった。

 

ところが母がヘルパーのミスで転倒して1カ月入院。その後「要介護5」と寝たきり状態になってしまったのだ。

 

「当時、映画製作に進出した夫が、お金をだまし取られて負債を抱え、家計はどん底でした。介護費に加え娘たちの学費もかかる。心身ともにボロボロの私でしたが、仕事しないわけにはいかなかった」

 

幾重にも降りかかる困難。ある日、庭の木を眺めながら、「あの木で首をつったら楽になるって、毎晩のように思っちゃうのよね」。そうつぶやいた安藤さんを心配した娘たちが家族会議を開き、「お母さん、それはヤバい」「お母さん、変だよ」というほど、追いつめられていた。

 

その後、心療内科で「介護うつ」と診断されたが、処方された薬のうち服用したのは最低限の睡眠導入剤だけだったという。

 

「よく、『いつごろからうつだったんですか』と聞かれるんですが、それがハッキリしないのも、うつです。母の病気も自分のうつも、現実を受け入れたくない思いで蓋をして、後手に回ってしまった」

 

当時のことは断片的にしか覚えていない。

 

「仕事の打ち合わせ中に急に涙が止まらなくなったり、生放送でまったく言葉が出てこなくなってしまったり。収録にも、何度も遅刻してしまいました。料理をつくろうと冷蔵庫を開けても、ハンバーグも生姜焼きも、どんな手順でこしらえるのか思い浮かばず……」

 

母・昌子さんが83歳で亡くなったのは、’06年4月。満開の桜に囲まれての旅立ちだった――。

 

「見送った後がむしろ危険だといわれますが、まさにそうで、介護うつは終わらなかったんです。24時間母中心だった私が生きる軸を失った寂しさ、無気力感に覆いつくされていた。燃え尽き症候群でした。洗濯物はたためない、冷蔵庫にはカビが生えた瓶詰めや干からびた野菜。『介護後うつ』でしたね」

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