酸素吸入しつつ公演を… 引退のたかね吹々己語る宝塚トップ時代

「マスクは今後も旅行者に必要ですから、この秋、開業予定のホテルのお土産物にしようかな」

 

元宝塚歌劇団雪組のトップスター・たかね吹々己(ふぶき)さん(54・前名・高嶺ふぶき)は充実した顔でほほ笑んだ。4月12日、ミュージカル『美しい人』を最後に、舞台を引退したたかねさん。新天地は、山口県の周防大島。なんと、過疎地のホテルの女将(おかみ)さんに転身するという。きっかけの一つは、3月にガンが見つかったことだ。

 

「先生からは『細胞診の結果、甲状腺乳頭がんでした』と、明るく言われましたよ。『手術で90パーセント完治します』と。でも、そのあとに『歌うことはできません』と……。人に聴かせる音楽性の声を維持するのは無理だと。パフォーマーとして、それはどうかなと思ったんです。ならば、スパッと諦めよう、と」

 

今、人生の一大転機に果敢に挑もうとしているたかねさん。その思い切りの良さは、昔から変わらない。

 

「中学生のとき、母の知人から宝塚のチケットが手に入って、母と2人で見に行ったんですけど……」

 

そのとき見た宝塚の舞台は、鳳蘭さんの公演。最後に皆で階段を下りてくるときに、たかねさんは、『あれ、気持ちええやろな。私、あれになる!』と言ったそうだ。

 

宝塚歌劇団の舞台に立つためには宝塚音楽学校への入学が必須だ。81年3月、たかねさんは26倍という狭き門の入学試験に挑んだ。そして迎えた合格発表の日、校長室へ呼ばれた母娘に校長先生が笑顔で言った。

 

「成績が一番でしたので、入学式で答辞を読んでいただきます」

 

なんと首席入学だったのだ!

 

2年間の音楽学校を卒業すると、宝塚歌劇団に入る。当時のレッスンはスパルタだ。振りを間違えると、灰皿が飛んでくる。ときには平手打ち、回し蹴りが飛び交う世界だった。

 

「喜多弘さん(故人)は、私が大好きな振付の先生でした。先生もダンサーなんで、(回し蹴りの)脚が上がるんですよ(笑)。避けたらいけない世界です。あとで『熱くなってしもて、ごめんな』と、チョコレートをくれるんですけどね。昨今では、絶対に暴力はダメですが、当時は違う受け止め方でした。しばかれていても、先生が『もっとよくなってほしい』と、成長を願ってくれているのがわかったんです」

 

宝塚のトップスターとは、1組約80人のトップ。組でたった1人の男役スターのことだ。色気のある洗練された男役になるために、たかねさんは日々の努力を惜しまず、96年、雪組のトップスターに上りつめた。

 

しかし、目指してきたトップスターは、スポットライトの華やかさの分だけ過酷でつらいものだった。

 

「トップになった喜びは、なくはないけど、スケジュールの慌ただしさやトップの重責のほうが上回っていました。トップスターは舞台に穴はあけられない。でも、体はボロボロで。公演は、酸素吸入をしないとできなかった」

 

トップとして走り続けて約1年。97年夏、『仮面ロマネスク/ゴールデン・デイズ』公演を最後に、たかねさんは退団する。31歳。宝塚で少女から大人へと成長した彼女は、人間としても大きく、心豊かになっていた。

 

「宝塚はいまの私の原形です。人への接し方、礼儀作法、人を見る目が養われたと思います。誰かに嫌なことをされても、お互いの立場を俯瞰して見られるようになりましたね。『ああ、この人、寂しいねんな』と。私が引いて丸くおさまるなら、一歩引こうと思います。『私の慈愛を分けてあげよう。この人の器が小さいんだから』と。情けは人のためならずと言いますが、結局、まわり回って自分に返ってくるんですから」

 

宝塚時代に得た教訓や信念が、新たな世界に果敢に飛び込もうとしているたかねさんを支えている。

 

「生きてさえいれば、どんなところでも自分を生かす道はある。人さまのお役に立つことができるのであれば、どんな場所でも、そこがステージ。ホテルという第二のステージで、これからは進歩ばかりじゃないですか」

 

未来を見つめるたかねさん。その大きな瞳は、トップスター時代よりもキラキラと、まぶしいほどに輝いていた─。

 

「女性自身」2020年6月2日号 掲載

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