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住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に影響を与えられた映画の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、「’80年代」を振り返ってみましょうーー。

 

「私にとって“忘れられない’80年代”といえば、高校時代に映画館で見た『フラッシュダンス』(’83年)。あの作品に出合わなかったら芸能界に飛び込む勇気は持てなかったし、いまの自分はなかったって思うんです」

 

そう話すのは、女優の羽野晶紀さん(52)。映画館で見た『フラッシュダンス』は大きな一歩を踏み出すきっかけとなったという。

 

物語はダンサーを夢見る18歳の女性が主役。養成所のオーディションにチャレンジしたいが、バレエ経験がないために臆してしまう。だが、さまざまな人との出会いと別れのなかで成長し、オーディションに臨むというもの。

 

「当時、住んでいた宇治から河原町まで、京阪電車で30分くらいかけて映画を見に行っていました。その途中の駅にジャズダンス教室の看板があるのは、いつも電車の窓から見ていたのですが、あるとき、『フラッシュダンス』の影響もあって、“私も習ってみたいな”って思ったんです。でも何だか恥ずかしくて、親にも友達にも内緒でバレエ用品を売っている『チャコット』に行って、ダンスシューズと、映画の主人公そっくりの黒のレオタードを買いました。そして体験教室にーー。おっかなびっくりでしたが、実際にチャレンジしてみると、すごく楽しくて『来週から来ます』ってレッスンに通うことにしました。月謝は6,000円くらいだったかな」

 

さすがに親に黙っているわけにはいかないので、「絶対にお父さんには言わないで」と母親にだけ告白。

 

「洋楽のヒット曲に先生が振りをつけてくれて踊るのですが、それがすごく楽しくて、MTVがはやっていたこともあって、洋楽もダンスも大好きになりました」

 

羽野晶紀明かす芸能界での駆け出し、原点は「ダンスと歌」
画像を見る 中学3年生時代の羽野さん

 

学校でも、渡り廊下の窓ガラスに自分の姿を映し、ダンスの振りを練習した。

 

「バンドを組んでボーカルもやりました。SHOW-YAやレベッカ、男子のメンバーとアルフィーを歌ったり」

 

ダンスと歌に明け暮れた高校時代。卒業後、大阪芸術大学のミュージカルコースに進学したことで、さらなる転機と巡り合う。

 

「劇団に所属していた先輩から学食で『公演でダンサーが必要だから参加しないか』と毎日のように誘われたんです。でも、劇団のお芝居は見たことがなくて。アングラっぽいイメージがあるじゃないですか。あまり興味がなくて断っていたんだけど、さすがに毎日ずっと断り続けるのも無理ってなって、1回だけのつもりで見学に行ったんです」

 

それが、古田新太らが所属する「劇団☆新感線」との出合いとなった。

 

「大音量でヘビメタやハードロックを流し、お芝居をしながら踊りを取り入れるのが特徴。“アレ? 想像していた演劇じゃなくて、ハードロックで踊るの?”と。だから初舞台はダンサーだったんです。そのうちセリフがもらえて、MTV世代だから、ロックで踊るのがめちゃくちゃ楽しくて、“ああ、自分のやりたいことって、ここにあったんだ”って、のめり込みました」

 

間もなく、劇団の公演を見に来たテレビ局の関係者から、バラエティ番組のオファーが舞い込み、仕事が次々と決まっていった。忙しくなり、大学にはほとんど行けず、2回生のときに中退。そのまま芸能界に進むことに。

 

「テレビの仕事、劇団☆新感線、ダンスや歌との出合い、ジャズダンス教室への入会……遡っていくと、芸能界に続く道の原点に『フラッシュダンス』があるんです」

 

「女性自身」2021年6月1日号 掲載

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