津久井さんと妻・雅子さん 画像を見る

渋谷の公園通りのゆるやかな坂道を上って、NHKに向かう介護タクシーの車窓からは、いつものように多くの若者が行き交う景色が見える。月に2回ほどある『ニャンちゅう!宇宙!放送チュー!』(NHK Eテレ)の収録は、闘病中の声優・津久井教生さん(きょうせい・60)にとってワクワクできる日だ。

 

その番組は、92年にスタートした前身番組『ニャンちゅうといっしょ』『ニャンちゅうワールド放送局』などを経て、現在は世界の魅力を伝え、国際理解を促す幼児番組だ。お姉さんと番組を進行する、セリフすべてに濁点が入っているかのような“ダミ声”の人形キャラ・ニャンちゅうは、お母さんたちにとってもおなじみのはず。

 

番組開始以来、約30年、ニャンちゅうの声を担当している津久井さんは、通い慣れたNHKに到着すると、車いすに乗りながら付き添いの妻・雅子さん(55)と共に、入念にアルコールで手を消毒し、スタジオに向かう。

 

収録では、お姉さんやニャンちゅうの動きを、セットから5mほど離れたアクリル板に囲まれた専用ブースから見て、胸元につけたマイクに声を吹き込む。

 

以前は、画面に腕の影が映り込んでしまうほど、セットの近くで録音に臨んでいたのだが──。

 

「これほど感染対策をするのは、呼吸器の病気は致命傷にもなりかねないからです。リモート収録ならリスクはさらに下がりますが、やっぱり現場に来て、実際にニャンちゅうの動きを見ながらでないと、しっくりきません」

 

津久井さんは19年にALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断された。神経変性疾患で、手や足の動き、嚥下が困難になる症状などがあらわれ、しだいに体の筋肉が減少し、寝たきりの状態になる。さらに進行すると、声を発すること、自力で呼吸をすることも不可能に。一方で意識はクリアであるため、精神的にも過酷な病いである。

 

「人によって症状や進行はさまざまですが、発症から寝たきりになるまでだいたい3年から5年が目安だそうです。ボクの場合は早いほうみたい。症状が出てから2年半で、歩くことも立つこともできないし、今は腕も動かないです。

 

トイレも介助がなければ無理だし、要介護4の状態。テレビ収録のときはおむつだし、台本も妻にめくってもらっています。治療法が見つかってなくて病状は進行するばかりだから、「これでも“今がいちばん、健康な状態”なんですよ!」

 

深刻な病状でありながら、津久井さんは悲愴感を漂わせない。

 

「20歳のころから声の仕事をしてきたボクにとって、しゃべることは生きること。声を失いたくないから、声帯を維持するためにもたくさんしゃべりたいんです。これだけ元気に振る舞っていられる理由ですか? 単なる“ええかっこしい”だからですよ」

 

難病と対峙し、死にたいと思うことだって、家族につらく当たってしまうことだってある。でも、それを含めてALSと共に生きていく決意をしたのだという。

 

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